アメリカは理念と利得で動く

山口 ロシアのウクライナ侵攻は、悲惨な歴史の繰り返しの典型だと言えますよね。

 もともとはヨーロッパというのはなかなか戦争がなくならないエリアだったわけですよね。パクス・ブリタニカの19世紀は比較的安定していました。イギリスは「突出して強い国が出てくるとヨーロッパは不安定になる」ことを歴史からわかっていて、勢力均衡を外交政策の基本戦略としていましたから、覇権国になりそうな国があると、周囲の国と挟み撃ちにして、その国を潰すということをやるわけです。ナポレオン戦争はその典型で、第二次世界大戦のドイツにもそうでした。両者に共通しているのは「イギリスとロシアでサンドイッチにして叩く」です。

 一方で、現在の覇権国家であるアメリカは、勢力均衡という考えを持っていないように見えます。アメリカという国は理念や利得で動くという特徴があり、その理念の一つが民主主義と自由主義を世界に広げていくということです。周りを海に囲まれていて敵対国がない国ですから、地政学を考慮する素地がないということなのだろうと思いますが、ヨーロッパに対しても理念で向き合ったわけです。

ADVERTISEMENT

写真はイメージ ©︎Ungvar/イメージマート

 ウクライナ問題について考えてみれば、火種は以前から燻り続けていました。冷戦終結後、ソ連の消滅とともに、NATO(北大西洋条約機構)に対する軍事同盟であったワルシャワ条約機構は解体され、その結果、リトアニア、ラトビア、エストニアといった旧ソ連圏・旧ワルシャワ条約機構下にあった国は、NATOとロシアの間に位置する一種の「緩衝地帯」としての役割を担うことになりました。

 ところが、あろうことか、このバルト三国をNATOに加盟させるという決定が下されます。これを強く推し進めたのが、当時のアメリカ国務長官マデレーン・オルブライトでした。理念的には、民主主義と自由主義陣営の拡大という「正義」に基づく判断だったと言えます。しかし、地政学的に見れば、これはロシアの勢力圏を直接的に侵食する行為であり、長期的な緊張を不可避にする選択でもありました。

 ところがここで止まれない。なぜなら「正義」は無限拡大を目指すからです。たとえば2008年のNATO首脳会議では、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ(息子ブッシュ)は、「ウクライナをNATOに加盟させるべきだ」という提案を行っています。

 これに対して、当時のドイツ首相であったアンゲラ・メルケルは明確に反対し、「そんなことをすれば、ロシアとの戦争になる」と警告したと伝えられている。この発言は、感情論ではなく、冷徹な地政学的判断に基づくものでした。メルケルさんは旧東ドイツの出身ですから、旧共産圏のメンタリティをわかっているし、ヨーロッパのエリートとしての歴史感覚に根差して反対したんだと思います。

 だからといって侵略は許されるものではないし、侵攻は仕方なかったとロシアの肩を持つつもりもありませんが、もともと民族統一という野心がある人に対して火に油を注ぐようなことをやったという意味で、私は西側諸国のリーダーにもこういう事態を招いた責任があると思っています。過去の歴史を考慮すべきでした。