51歳の頃には中国への工場進出に反対する親族に対し、こう言い放ったという。「障子を開けてみよ、外は広いぞ」。遠江国の貧しい村で「変人」「借金王」と呼ばれながらも、機械の仕組みだけをひたすらに見つめ続けた男の視座は、いつしか遥か外の広い世界へと向かっていたのである。

大事業を成し遂げるのは常人ではない

その6年後、57歳にしてついに、当時世界一と評された「G型自動織機」を完成させる。

糸が切れれば自動で止まり、一人の作業員で最大50台までを一括管理できる。この機械を欧米の技術者たちは「Magic Loom(魔法の織機)」と呼んだ。1929年には英国の業界最大手プラット社が10万ポンド(約100万円。当時の小学校教諭の初任給が月50円)で特許権を買い取り、日本発の技術が世界の紡織業界の頂点に立った。

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だが、佐吉が世界の頂点に立ったとき、かつて「馬鹿をみた」と恨みながら去っていったたみの姿も、孤独な幼少期を強いられた喜一郎の沈黙も、消えてなくなるわけではなかった。栄光は、そうした傷の上に積み上げられたものであった。

歴史に名を残す大事業を成し遂げるのは常人ではない。成功すれば「偉人」と讃えられ、失敗すれば「変人」として忘れ去られる――佐吉の生涯は、まさにその境界線上を歩み続けた人間の記録である。

家族に耐え難い苦痛を強い、周囲に多大な迷惑をかけながら突き進んだ姿は、美談だけで語り尽くせられない。世界を根底から変えるイノベーションには、そうした狂気が必要なときもある。

佐吉が晩年に残した言葉がある。

「『誠実』という字を見ろ。『言う』ことを『成せ』ということだ」

彼は人生を通じて証明したのだ。

【参考文献】
御手洗清 『遠州偉人伝 第一巻』浜松民報社、1962年
和田一夫、由井常彦、トヨタ自動車歴史文化部企画『豊田喜一郎伝』トヨタ自動車、2001年
日本経済新聞「私の履歴書(トヨタ自動車会長 豊田英二氏)」(1984年9月18日)
日本経済新聞「ナゴヤが生んだ名企業 第6部 トヨタの支え手(1)」(2017年2月21日)
朝日新聞「(遠州考)「野史」が伝える、等身大の素顔」(2020年10月16日)
朝日新聞「(宗一郎と喜一郎)喜一郎誕生」(2021年5月12日)
朝日新聞「(宗一郎と喜一郎)豊田・プラット協定」(2021年6月30日)
東京新聞「障子を開けてみよ 発明王・豊田佐吉」(2016年11月24日)
AERA「甦る江戸ベンチャー気質 三井、復活の奇跡」(2000年1月17日号)

栗下 直也(くりした・なおや)
ライター
1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。
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