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妊娠した女性の腹を⋯
まずは横須賀海兵団で訓練を受け、機関兵として戦艦や潜水艦に乗り組み、海外への遠洋航海へ。大きな影響をもたらしたのが日本軍が中国に進出した山東出兵さなかの1928年(昭和3年)5月、蒋介石(1887-1975)率いる国民革命軍と日本軍が山東省済南市で武力衝突した済南事件である。
当時、小平は海軍陸戦隊員として日清紡工場の防備に当たっていたのだが、事件勃発により激しい市街戦を体験。中国兵6人を銃剣で刺殺する“成果”をあげる傍ら、同僚とともに中国人の家庭に押し入り、父親を縛り上げ娘を強姦した。後の小平の証言によれば「強盗強姦は日本軍隊につきもので、時には妊娠している女の腹を引き裂き胎児を取り出したこともあった」そうで、中国でのこの犯罪経験が後の残忍な強姦殺人に関連していることは想像に難くない。
1929年、戦功を認められて勲八等旭日章を受け、三等機関兵曹として除隊。約6年間の海軍生活では兵隊相手の女性との性交渉が何よりの楽しみで、特にヨーロッパに寄港した際はそのたびに白人娼婦を買い漁り一晩で5回射精することもあったという。
小平の性欲は人並み外れていた。