大関和(左:提供=医療法人知命堂病院)、三宮八重野(右:『アーネスト・サトウ公使日記2』/国立国会図書館デジタルコレクション/三宮糸子氏蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

なるほど、八重野がモチーフだから、仲間由紀恵の役名は同じ3文字ネームの千佳子なのか、侯爵と男爵では華族といってもランクがだいぶ違うけれど、大関和がそういうセレブの看護をしたのは本当なのね……とざっくり理解しただけでは、明治時代のリアルには近づけない。そもそもこのときの三宮はまだ男爵ではない。村上信彦『近代史のおんな』(大和書房)には、明治20年(1887)の話として、こうある。

大関はまだこの病院実習中に、乳癌の手術で帝大病院に入院した三宮義胤(よしたね)式部官夫人八重野(英人)の附添(つきそい)に選ばれて十日間つとめ、退院後は高輪の御殿へ四日ごとにスクリバ教授について包帯交換などに通った。六人の同期生はいずれも優れた生徒達であったにそうい(相違)ないが、その中でも彼女に白羽の矢が立ったというのは、いかに優秀であったかをものがたっている。

村上信彦『近代史のおんな』(大和書房)

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知ると腑に落ちる登場人物の“国籍”

英人? つまり三宮夫人はイギリス人だったというのだ。まず、この記述にあるドイツ人医師にして帝大で医術を教えていたスクリバ教授(1848~1905年)が、「風、薫る」には出てこず、日本人のシュッとした若手医師がサクッと乳がん手術をできることになっているが……。この頃、日本人にその技術はあったのか?

ただ、江戸時代の有名な医師、華岡青洲が日本で初めて乳がん手術を行って(1804年)から80年以上経っているので、この頃には日本でも手術例は少なくなかったのかもしれない。三宮男爵夫人も結果的に手術後30年ほど、生きながらえている。

しかし、患者がイギリス人女性で、執刀医もドイツ人医師で……と知ると、やはりそちらの方がリアルに感じられる。おそらく三宮夫人は西洋医学のことをよく理解していて、ドラマの侯爵夫人のように手術を怖がったり、看護婦に当たり散らしたりしたということは、なかったのでは?