日本で5例目の「国際結婚」

三宮八重野とはどんな女性だったのか。彼女の本名はアレシーア・レイノア(Alethea Raynor)。イギリスではレディの称号を持つ貴族ではなく、商人の娘だった。

東部の都市キングストン・アポン・ハルの生地商を父に持ち、どういう経緯があったのかは分からないが、東伏見宮彰仁親王(のちの小松宮)の英国留学に随行していた三宮義胤と知り合って、おそらく運命的な恋に落ちた。

明治7年(1874)にロンドン・ハムステッドの教会で岩倉具視の三男・岩倉具経らを立会人に、義胤と結婚式を挙げている。

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これが日本の記録に残る「国際結婚」の5例目とされる。ちなみに前の朝ドラ「ばけばけ」のモデル、ラフカディオ・ハーンと小泉セツの結婚は191例目(小山騰『国際結婚第一号』講談社)。

そして、外務省官僚となった夫と共にドイツ駐在を経て、明治13年(1880)に日本に来た。もともと、義胤は華族でも、旧大名や公家の家系でもなく、滋賀の寺の住職の長男だった。言ってしまえば、維新の戦乱で武功を挙げ新政府に取り立てられただけの庶民。だから、アレシーアが爵位や財産目当てで日本人男性と結婚したというわけではなさそうだ。

しかし3年後、義胤は宮内省に転じると、めきめき出世しだした。明治18年(1885)には式部官に就任。現在でも宮内庁式部職といえば、儀式、外国交際、雅楽に関する事務をつかさどる役割で、皇居にも足繁く出入りする。イギリスとドイツに駐在経験があり、妻は生粋のイギリス人という義胤にとって、この役割にはうってつけ。その頃、欧米各国から多数来日していた要人のアテンドをしまくっていた。

英駐日公使の日記から見える活躍ぶり

その多忙ぶりと活躍ぶりが分かるのが、『アーネスト・サトウ公使日記』(新人物往来社)だ。アーネスト・サトウ(1843~1929年、サトウはスラブ系の苗字)は幕末にイギリスの駐日公使についていた通訳官で、足かけ20年余り日本に滞在して薩英戦争に関わり、明治新政府の成立や西南戦争の収束を見届けてから、いったんイギリスに帰国。12年後の明治28年(1895)に駐日特命全権公使に出世して日本に戻ってきた。