1948年1月、東京・新宿区の路上で自転車を走らせていた葬儀屋が職務質問を受けた。荷台の木箱を開けると、中には5体の乳児の遺体。これが、日本犯罪史に刻まれる「寿産院事件」の発覚の瞬間だった。
逮捕されたのは寿産院院長の石川ミユキ(当時52歳)と夫の猛(同55歳)。東京帝国大学病院付属産婆講習科を卒業した高学歴の持ち主で、逮捕当時は日本助産婦看護婦保健婦協会の理事まで務めていたミユキは、助産師界の第一人者として知られた人物だった。
「死ぬのは当然でしょう」——養育費を騙し取り、乳児を次々と死なせた
夫妻の手口は、未婚の母や不倫関係から生まれた私生児を5千円〜1万円の養育費で引き取り、引き取り手が現れれば売りさばくというものだった。問題は、引き取り手が見つからなかった乳児への扱いだ。
食事は1日に粉乳2さじと砂糖3さじのみ。真夏でも裸のまま床に転がされ、入浴もおむつ替えも行われなかった。配給された粉ミルクや砂糖は闇市に横流しし、事件発覚までに約100万円(現在の価値で約4千万円)を手にした。
死者は最終的に169人。引き受けた乳児の約85%にあたる。しかしミユキは取り調べに対し、こう言い放った。
「後の補給の目当てもないのに、母親は無理に預けていってしまうんですから、死ぬのは当然でしょう」
さらに逮捕から6日後には「毎日のように死んでいくのを見ているうちに、だんだん慣れて別に何とも思わなくなりました」とも語っている。
裁判でミユキに下された最終的な判決は懲役4年だった。
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その後、90歳まで生きた「彼女の人生」とは――【事件の詳細】は以下のリンクからお読みいただけます。
