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武川さんは1932年(昭和7年)、東京大学を出て図書館長を務める父親の二女として兵庫県西宮市に生まれた。
神戸・宝塚の小林聖心女学院を卒業後、上京して新宿下落合の聖母病院看護養成所で看護医療を学びつつ、週2で高田馬場の高田外語学校にも通学。
1953年、神戸でも歴史のあるキリスト教系医院「万生病院(後の神戸海星病院)」に就職後、患者男性と恋仲になったが相手に妻子があり別れ話に発展する。
その後、眼科医院に転職し、以前から顔見知りだった県庁職員の男性と結婚を前提に交際するも、ある日、その男性と前出の既婚男性が鉢合わせし口論となり、県職の男性がビール瓶で相手の頭部を割るなどのトラブルが起きたこともあって結婚は白紙状態となった。
競争率100倍を突破した才女だったが⋯
その後、武川さんは再び上京。キリスト信徒で英語ができたこともあり、1957年春から中野区鷺宮の「聖オディリアホーム乳児院」に住み込みで勤務。
翌1958年12月中旬、BOAC東京支社の営業部長をしていた義理の叔父の勧めでスチュワーデス試験を受けて採用される。競争率100倍以上を突破した9人のうちの1人だった。
1959年1月、スチュワーデスとしてのトレーニングが開始され、ロンドン本社で実地研修を受けるなどして2月27日に帰国。3月13日には初仕事として香港行きの便に乗務する予定だったが、その3日前に無惨な姿で発見される。