その後、眼科医院に転職し、以前から顔見知りだった県庁職員の男性と結婚を前提に交際するも、ある日、その男性と前出の既婚男性が鉢合わせし口論となり、県職の男性がビール瓶で相手の頭部を割るなどのトラブルが起きたこともあって結婚は白紙状態となった。

競争率100倍を突破した才女だったが⋯

 その後、武川さんは再び上京。キリスト信徒で英語ができたこともあり、1957年春から中野区鷺宮の「聖オディリアホーム乳児院」に住み込みで勤務。

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 翌1958年12月中旬、BOAC東京支社の営業部長をしていた義理の叔父の勧めでスチュワーデス試験を受けて採用される。競争率100倍以上を突破した9人のうちの1人だった。