「ハマのマリア」と呼ばれた高校時代
池袋の店は余が3歳のとき区画整理のため閉店を余儀なくされ、一家は横浜に引っ越して、横浜駅西口近くでバーや焼き鳥店を営むようになった。
高校時代の余は元町のジャズ喫茶に入り浸り、そこを根城としていたバイククラブの男性たちと仲良くなって、政治の話などもよくしていたという。やはり同じころ出入りしていたライブハウスでは、横浜を中心に活動していたグループサウンズのバンド、ザ・ゴールデン・カップスのメンバーにかわいがってもらった。ちなみに当時、仲間内では「ハマのマリア」と呼ばれていた。背伸びしたい盛りで、ジャズでもハードな曲を好み、マンガも少女雑誌ではなくつげ義春を愛読していたとか。
彼女が大事にしているアナーキーな精神に目覚めたのも、おそらく高校時代に出入りしていた場所や接したカルチャーの影響が大きいのだろう。高校卒業に際しては就職の内定もいくつかもらっていたが、それを蹴って、小劇場演劇の世界に飛び込んだのは自然の流れだったといえる。
「先祖は私にとっていちばん大事なもの」
余自身は日本で生まれ育ち、日本語しか使えない。父の死後、母からは何度も日本に帰化を勧められたが、《そういう気持ちになぜかならないんです。別に何かのため、ということではなく、帰化しても大丈夫なんですが……》と応じてこなかったという(野嶋剛『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』小学館、2018年)。
2006年には2歳下のNHKの美術スタッフと結婚したが、そのとき、夫の母親を一生守ると心に誓った。その理由は《中国では、結婚とはもれなく親戚がついてくるものです。縁あって、離れがたき絆を結んだのだから、何があっても守りたい、と思いました》というものであった(『ゆうゆう』2011年12月号)。
後年にいたっても、一族の誰かの命日には親戚で集まって墓参りをしているという。《先祖は私にとっていちばん大事なものです。その誰が欠けても私が存在しないんですもの。先祖がいて私がいるわけですから》との発言(『ゆうゆう』前掲号)からは、彼女が国籍を変えずにいる理由が何となくうかがえる。
