離婚後、父の暴力はより激しくなっていき……
父は実家の自動車修理業を手伝いながら、いくつかの会社に勤めた後、自営で修理業を始める。若い頃から精神的に不安定で生活保護を受けていた。両親は離婚した後も、互いの家を行き来した。父は食事に来たり、母を呼び出したりした。
智美さんは「両親は円満離婚」と話す。「もめることなく離婚した」という意味合いだった。「でも、何で会うのかと思った。前と変わらないなら、離婚した意味がない」
慰謝料や養育費の約束もなく、両親は籍を抜いた。「母にはそんな知識がないから」とこぼす智美さんに、京子さんは「嫌だと言うと何をされるか分からない。あの人にはお金がないし」と言葉を濁した。
中途半端な状態だったが、智美さんは高校受験に向けて熱心にアスポートの無料塾に通った。同じ日に近くの自治体で開かれる教室も掛け持ちし、支援員の田中正樹さんに送迎してもらって、2カ所に連続で参加することもあった。当時の口癖は「おなかすいた」だった。
「お菓子が楽しみでした。特にクリスマスはたくさん出たから良かった」
智美さんは田中さんとはよく顔を合わせたが、父の暴力のことは口をつぐんでいた。そのため、田中さんは「離婚した後も子どもへの影響はそんなにないのかな」と感じ、家庭内の秘密を見抜くのは難しかった。智美さんが振り返る。
「離婚した後、母への暴力はますますひどくなっていったんです」