そこに深刻な危機感を抱いているのが、昨年就任したローマ教皇、レオ14世である。
教皇は、自分の重要と思える考えを「回勅(かいちょく)」という公開書簡の形で発表するが、5月25日に、「マニフィカ・フマニタス」という初めての回勅を公表した。タイトルを直訳すれば「人間らしさの崇高さ」を意味し、副題は「AI時代における人間の尊厳の擁護」だった。
宗教の存在意義を奪うAIの“賢さ”
カトリック教会では、在任中の教皇の発言には、神による霊感が働いており、間違うことはないとされている。
その回勅では、生成AIが人間を支配する権力になっていて、一部の人間がその技術を独占することで、社会的な格差を広げていることが指摘されている。「AIが賢すぎること」より、「人間が判断を手放すこと」が危険であり、これまで宗教が扱ってきた「生と死」の問題については、“絶対にAIに委ねてはならない”というのである。
ローマ教皇は、AIが進化し、それだけ社会を変えることに危機感を抱いているわけだが、もっと身近なところでも、教会の危機は進行しているはずだ。
これは、カトリック教会の神父だけではなく、あらゆる宗教の聖職者全般にいえることだが、これまで、そうした人々は共同体における相談役を果たしてきた。日本であれば、地域にある菩提寺の僧侶がその役割を果たしてきた。それが、宗教が存在する意味でもあった。
ところが、生成AIが人間から相談役の地位を奪ってしまえば、聖職者は不要になる。
それは、宗教そのものの存在意義を失わせることにつながる。教皇が強い危機感を抱くのは、本質的にはそうした事態を踏まえてのことであろう。それは宗教家だけではなく、人類全体におよんでいく可能性があり、その影響は計り知れないのだ。
だから真っ先にAIに相談したくなる
生成AIは、使えば使うほど、使う側に寄り添ってくれる。しかも、いっさいの打算がないので、その態度に徹してくれる。