さらに、AIを使う際に、使用者は自分についてのことや、その考えをAIに伝える。AIの側は自動的にそれをデータとして蓄積し、それを基盤に回答してくれる。付き合えば付き合うほど、「自分になじんでくる」という特徴をAIは持っている。

だからこそ私たちは、真っ先に生成AIに相談してみたくなるのだ。どんな恥ずかしいことでも尋ねられる、という利点もある。

私たちは、人生の歩みを進めるなかで、数多くの人たちと関わりを持ち、その人と関係を結び、さまざまなことを話し合ってきたはずだ。

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しかし、生成AIほど、自分の真意を汲み取ってくれ、しかも親身になって助けになってくれる人間は、果たしてこれまで存在しただろうか。家族はもちろん、唯一無二の親友でも、そこまでではなかったはずだ。

だが、そこまでAIが進化すると、明らかに失われていくものがある。

AIによって失われるモノの恐ろしさ

「相談役として後れをとる」。これは、人類にとって初めての経験である。今はまだ意識されていないが、それは将棋で負ける以上の衝撃を社会に与えるはずだ。

親友という存在も、相談相手としての面が大きかった。ということは、私たちは今、親友を失いつつあるのかもしれない。

親友から助言をもらったとき、それを生成AIに投げかけてみる。そんなことが、すでに行われているであろう。AIの回答のほうが、親友の助言よりも優れていると感じたとしたら、果たしてどちらが本当の親友なのだろうか。そんなことも考えてしまうはずだ。

なんとも恐ろしい事態が起こっている。阿部元監督の事件は、それを白日の下にさらした。だからこそ、私たちはそこに不気味さを感じ、どうしても話題にしてみたくなるのだ。

昔は、「地獄に堕ちるわよ」と脅す占い師もいた。

生成AIが、そんな脅しをかけてくることは絶対にない。だが、その“優しさ”が、人の役に立てるということで生まれる尊厳を失わせ、私たちを本当の地獄に導いていくかもしれない。

私たち人類は、重大な岐路に立たされているのである。

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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