なぜ中心地が変わらないのか?

 1988年に瀬戸大橋が開通すると、岡山と高松は1時間足らずで結ばれるようになった。多少の風の影響などはあるにしても、船で瀬戸内海を渡っていた時代と比べれば圧倒的に便利になったといっていい。

 

 一方で、本州から松山や高知に向かうには、高松を通らずとも岡山駅から直接特急に乗り込めば済む。つまり、高松は四国全体の玄関口という存在ではもはやなくなっているのだ。

 港町という性質、また商業都市という性質は変わらずとも、むしろ、岡山までも1時間かからないのだから、立派な通勤通学圏だ。

ADVERTISEMENT

 

 東京駅から1時間の八王子だって堂々たる首都圏なのだから、高松と岡山はもはや瀬戸内海を間に挟んで同じ都市圏といっても差しつかえないだろう。普通はJRの会社間を跨いで使うことのできない交通系ICカードも、岡山から高松まで、JR西日本とJR四国を跨いで使うことができる。

存在感を保ち続けるまち

 ただ、やっぱり高松の町中を歩けば、これはこれでまったく独立したひとつの都市であるということがよくわかる。

 

 瀬戸内海の交通の要衝としての地位を保ち続け、高松城はただの城ではなく交易の拠点としての機能を持った。

 近代になると宇高連絡船によって四国の玄関口となり、瀬戸大橋が開通してからも江戸の昔から続く中心部の賑わいは変わらない……。

 

 いつ一体化してもおかしくないほど時間距離の近くなった岡山と高松。

 その中にあっても、ひとつの都市として存在感を保ち続け、江戸の昔からの中心部の活気が保たれているのは、やはりこの町の歴史を担った人たちの努力のお陰、ということなのだろう。

撮影=鼠入昌史

次のページ 写真ページはこちら