私は、学級は西洋的な「集団」の側面も持つべきだと考えます。一人ひとりの個性が尊重されつつ、同じ学級目標、つまりは成長に向かう集団であるべきです。私はまた、菊池道場の教えでもこんなフレーズを伝えています。
「ひとりが美しい」
これは自分ひとりでも考えを言える個人であろう、またそれを受け入れられる集団であろうという意味で、この言葉は阿部先生の著書から着想を得ることができました。
いじめが全滅することはない
「群れ」から生じるものとして、いじめについても述べておきます。私自身、これまでのキャリアでいじめについては多くを見聞きしてきました。
文部科学省が公表している「令和6年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」のいじめに関するデータによると、小・中・高等学校及び特別支援学校におけるいじめの認知件数は76万9022件(前年度73万2568件)です。新型コロナのパンデミックの時代には減ったものの、その後増加に転じています。
文部科学省も盛んに法整備やこうしたアンケート調査などを行っています。しかし、学校教育が目指す方向の軸がないまま、その場その場での対症療法に終始していても、増加はなかなか止まらないでしょう。
いじめが発生した学級の担任の先生は、子どもたち個々人の問題に目が行きがちです。しかし問題は組織で学級運営ができていないことが多いのではないでしょうか。
何よりいじめ、不登校はそもそも予防を考えるべきものです。それらが起きないような教育が正しい。すべてが人間関係の話です。だからこそコミュニケーションが重要になってきます。
私も教員時代から、いじめが発生しないために多くの力を尽くしてきました。
しかし、一方でいじめは社会から全滅することはありません。
厳しいですが、この認識は必要です。日本においてゼロになることはありません。古くは『源氏物語』にもいじめの様子が描かれています。現代において、地震、雷、台風がなくなるのか。これは天災だからなくなりようがない。一方賄賂や殺人といった人為的な罪がなくなるのか……これも人類の歴史の中で残念ながら消し去ることができていません。それと同じくいじめを捉える覚悟が必要です。
しかし起きてしまって「どうしよう」と慌てふためくだけではどうしようもありません。コミュニケーション能力を高め、教室が群れから個々人の集団へと変わること、自分自身の強い意思とその意思を表現する力を蓄えられるようになることです。くり返しになりますが、これが最大の予防であり、対策でもあると考えています。