オリジナル舞台を全国各地の学校で上演…大魔神の佐々木の姿も
――学校公演で全国を。
五頭 学校公演が中心でしたね。学校の現場を描いたもの、戦争に引っ張られていく若者たちの話など、オリジナルの舞台を全国各地の学校を回りながら上演するんです。
7年間で1つの演目を1000回近く公演しましたかね。行っていない県がないというくらいに全国を回りました。1970年から1980年代ぐらいですね。長崎の海星高校に行ったらサッシーと呼ばれて、ヤクルトスワローズに入ったピッチャーの酒井圭一がいたり、東北高校に行ったら大魔神の佐々木主浩がいたり、高校野球の強豪校も回りましたね。
紀伊國屋演劇賞の団体賞をもらったり、厚生大臣賞もいただいたり、評価していただく機会にも恵まれて。
――移動は大変だったのでは。
五頭 自動車の会社にいたし、大型免許を持っていましたから、12メートルぐらいのバスを運転して女優さん、男優さん十数人を乗せて旅回りをしていました。列車移動ではこなせないスケジュールでしたから。
いわば劇団の「運輸大臣」みたいな役割も担っていましたね。演技もするし、バスの運転もする。劇団にしてみれば重要な存在だったんじゃないですかね(笑)。
劇団在籍時に『砂の器』『八つ墓村』などの映画に出演
――映画やテレビといった映像のほうにも進出を。
五頭 劇団にいた頃、『砂の器』『八甲田山』『八つ墓村』といった映画にも出させていただきました。劇団に在籍していた制作の方が、そうした作品のブレーン的なことをやっていたおかげです。ただ、劇団が忙しくなっていくにしたがって映像の仕事はできなくなっていきましたね。
舞台と映像では、ずいぶんギャップがあるんですよ。舞台は声も大きく、動きも大きい。その感覚のままで映画の現場に行くと「なんだって、そんなに大きな声を出すの」「動きが大きい」とよく言われました(笑)。戸惑いながらも、面白いなとは思っていましたけれども。
