「当時はお金が本当になくて…」

 響子さんが回想する。

「当時はお金が本当になくて、大阪万博に行きたいと言っても聞こえないふり。それなのに、自分だけはテレビのレポーターの仕事で行っていた。それを見たら暴れたくなりましたね」

 もっとも、その後は79年に『幸福の絵』(新潮社)で女流文学賞、2000年に12年の歳月をかけて描いた大河小説『血脈』(文藝春秋)で菊池寛賞を受賞し、その後も数々の作品を世に残していった。

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『90歳。何がめでたい』がベストセラーに

 そして16年。「女性セブン」で連載していたエッセイをまとめた『90歳。何がめでたい』(小学館)がベストセラーとなり、草笛光子主演で映画化までされたのである。

 小学館の担当編集者・橘高(きったか)真也さんが述懐する。

「私が連載をお願いしに伺ったら、『90過ぎて週刊誌の連載だなんて、あなた私を殺す気か』と。半ば呆れられながらも、何度もご自宅に伺いお話しする中で、最後は根負けするように了承頂きました」

 愛用の万年筆で書かれた原稿は、太く、濃く、力強いものだった。

「ご自宅で打ち合わせをしていると、よく新聞社や出版社から電話がかかってきていました。とにかく相手を納得させないと気が済まなくて、無茶な依頼にも、怒りつつも断る理由を説明なさっていました。それは投資の勧誘電話にも同様で、すべて話を聞いた上で『あのね、私はもう90過ぎていて、すぐ死ぬのよ。だから必要ないの』と丁寧に説明したりする。それが本当に面白かったんです」(同前)

 根底にあるのは人間への好奇心だった。ある出版関係者もこう言う。

「ある日、どこで電話番号を調べてきたのか面識のないファンの人が、突然電話をかけてきた。相談内容は、自分の連れ子に冷たくあたる再婚夫への愚痴。早く切ればいいのに、先生は『あなたはそれでどうしたの』等と、30分以上も相談に乗っていて驚きました」

 響子さんも言う。

「母は、常にモノを書く発想で物事を見ており、テレビを観ていても、他人の会話を聞いていても『これは書けるね』って。泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのように、母も書き続けないと死んでしまうマグロだったんだと思います」