ひと知れず健康に気を遣っていたが…
出版関係者の間では「病院嫌い」として知られていたが、人知れず健康に気を遣っている側面もあった。
響子さんは苦笑を交えながらこう語る。
「手の平にホクロが出来ただけで『皮膚がんだ!』と騒ぎ、ご飯が不味いと感じただけで『胃がんだ!』と言って病院に行く。コロナ禍に36度8分の熱が出ただけで『コロナだ!』と。それは平熱だよと言ったら、『私にとっては高熱だ!』と大騒ぎして大変でした」
そんな佐藤さんのエネルギーが少しずつ減り、認知症の症状が強くなったのは24年。きっかけは書斎に介護用ベッドを設置したことだった。
「電動ベッドを設置したことで書斎のレイアウトが変わり、混乱が始まりました。長いこと旅行に出かけると、久しぶりに自宅で寝ても、目が覚めた瞬間『ここはどこだろう』って思うことがあるじゃないですか。きっと母は、そういう状態から覚めることが出来なくなってしまった」(同前)
「私のこういう事態を出版社の連中は知ってるの?」
だが、施設に入る直前“本当の母”と最後に会話することが出来たという。
「その頃、母は私のことを娘ではなく“姉”だと思って接してきていたのですが、その日だけ“響子”と認識していたんです」(同前)
佐藤さんは響子さんに対して、こう言ったという。
「私のこういう事態を出版社の連中は知ってるの?」
響子さんが首を横に振ると、佐藤さんはこう呟いた。
「田畑麦彦に会いたいな」
響子さんが続ける。
「おそらく自分の置かれている状況が本当に分からなかったんだと思います。理詰めでモノを話す父に説明してもらえば納得できると思ったのでしょう」
