お笑いコンビ・ジャリズムのツッコミ担当として一世を風靡した芸人のオモロー山下(57)さん。デビューした大阪ではスムーズに売れたが、東京進出に苦戦し突然の解散を発表し周囲を驚かせた。
『笑っていいとも!』で感じた「こいつら誰やねん」という視線、相方だけが急に売れた時の心情、そして2度の解散の真相について話を聞いた。(全4本の1本目)
——そもそも山下さんが芸人を目指したきっかけは何だったんですか?
山下 子供の頃から『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)とかドリフとか、そういうお笑い番組が好きでずっと見ていたんです。現実的に芸人になりたいなと思ったのは高校生のとき。ただ、僕は四国出身なのでどうやって芸人になればいいのかわからなくて、高校3年のときに弟子入りしようと思って大阪に行きました。
NSCでは22歳なのに「おじいちゃん」扱い
——すごい行動力ですね。
山下 特にアポもなくなんば花月に行って、太平サブローさんが劇場から出てきたところについて行って、「弟子にしてください」とお願いしました。意外にも「ええよ」と軽い感じで受け入れてもらえたんですけど、親の承諾をもらってから来いと言われて。四国に帰って親に承諾書を書いてもらって、吉本に送ったんですけど、そこから返事が全く来なかった。
それで、次に村上ショージさんのところに行って「弟子にしてください」とお願いしたら、「いやいや、俺が弟子みたいなもんやからあかんわ」と断られました。そこでもう無理やなと思って、高校の時点ではいったんあきらめました。
——そこから大学に行かれたんですね。
山下 はい、1年浪人して大阪の大学に入りました。入ってみたら大学生活が楽しくて、すぐには芸人にならず結局大阪のNSC(吉本興業の芸人養成所)に入ったのが大学4年の時でした。今は大卒の人も増えましたけど、当時は高卒で入る人が多くて、22歳だった僕も「おじいちゃんやな」みたいにイジられていました。

