妹尾さんからは、まず「映画の話をレギュラー化すべき」と提案があった。宇多丸さんは「映画は一番好きな趣味だから仕事にしたくない」と当初前向きではなかったが、議論の末に「観る作品は自分で選ばない。スタッフによって強制的に決められる」という仕組みにすることで合意。サイコロを振って作品を選ぶ方式に決まった。
番組開始から1年。これが「ザ・シネマハスラー」(2008年4月6日に初回放送)であり、いまの「ムービーウォッチメン」に続く発想だった。
観たくない作品も含めて挑む形が、宇多丸さんの「やらされるのが得意」な性格、例えるなら『水曜どうでしょう』における大泉洋さんに通じる受け身スタイルにドンピシャにハマった。自発的に映画を語る、喋り手が言いたいことを言う自由なスタイルでは到達できない高みだった。
いつしか映画評コーナーはラジオリスナーだけにとどまらず、映画ファンたちにも届き始めた。高校時代に映画をよく観に行っていた旧友から久々に連絡が来て「聴いてるぞ」と言われたときは嬉しかった。ラジオ聞いてなさそうな奴だったのに。
また、徐々に映画宣伝会社から私や宇多丸さんへの試写状の数が増え、いつしかデスクには日々、年賀状のようにハガキが積み上がっていった。宇多丸さんへの試写状は別の段ボール箱を用意しないと整理できないほどになった。
ラジオにとって企画がなによりも重要な理由
番組開始から2年後の2009年、映画評コーナーが評判となり、宇多丸さんは放送批評懇談会主催のギャラクシー賞における「DJパーソナリティ賞」を受賞する。
これはラジオ部門において最も優れた活躍をしたパーソナリティに贈られる賞だ。異例なスピードだった。水道橋博士も「つまらない映画がなぜつまらないかをおもしろく語ることはものすごく技量がいる」と激賞した。
映画業界や他メディアで認知され、映画ファンが宇多丸さんの映画評を聴きたくてラジオをつける。ラジオ番組に新規リスナーが来る大きな導線にもなったのだ。
本人の強みを引き出す企画を見つけ、育てることで、ラジオ番組は強くなる。パーソナリティと企画がフィットすると、「1+1」が「2」ではなく「200」になる。
だからラジオには企画が重要なのだ。専門性を活かした企画が育てば、世間的知名度だけで戦う必要はない。まずリスナー像を定め、コア層が決まったら、そこに刺さる企画を立てる。それが、非有名人で番組を立ち上げる秘訣だ。
