新番組を立ち上げる際、メディアは「スポンサーに売りやすい有名人」を起用したがるのが定石だ。しかし、もしそのセオリーに従っていたら、現在の“ラジオスター”ジェーン・スーは誕生していなかったかもしれない。

 知名度ゼロの彼女を、なぜ新番組のメインパーソナリティに大抜擢できたのか。ラジオプロデューサー・橋本吉史氏による『ラジオ最強説』(イースト・プレス)の一部を抜粋し、真の才能を発掘したキャスティング秘話を紹介する。

ジェーン・スーさん

◆◆◆

ADVERTISEMENT

ジェーン・スーさんの登場

 5月22日。

 この日付は、宇多丸さんの誕生日であり、同時に、少なくとも自分のなかでは「パーソナリティ、ジェーン・スー誕生の日」として記憶に刻まれている。ラジオ史に残る日付だ。今後は何かしらの記念日にしてほしい。私は甘茶を飲んでお祝いしたい。

 2011年5月22日の夜。私は当時TBSラジオの局内にあった会議室で作業をしていた。そこでふと耳に入ってきたのが、4月に放送が始まったばかりの音楽番組『高橋芳朗 HAPPY SAD』(2011~2012年)。

 そしてこの日のゲストがジェーン・スーさんだった。

 当時はまだメディアに出演など当然していない。というか私にとっては、スーさんはアイドルグループ、Tomato n’ Pineのプロモーターとして新曲が出たときにサンプルCDを届けに来てくれる、あくまで本名の方で面識があるという関係だった。

 この人がのちに最強パーソナリティになる人物だとは。

『HAPPY SAD』の当時のゲストコーナーでは、番組周りの知り合いで話せそうな人を呼んで選曲とトークをする企画があり、そのひとりとして呼ばれたのがスーさんだった。

 そのときのゲスト紹介ではスーさんは「トマパイのプロデュースと作詞」を担当する人物であり、コラムニストやライター活動もやっている人、という紹介だった。