そしてQ&Aののち、ふたりは劇場の外で落ち合い、お互いのことを語る。真理はフランスに、マリー゠ルーは日本にそれぞれ留学経験があり、会話が母語以外でも可能なこと、真理は哲学、マリー゠ルーは文化人類学を学んでいたこと、マリー゠ルーは東日本大震災の翌年まで、日本で生活していたこと……、ふたりの会話は短い時間の中でもどんどん高度さを増していき、やがて会話は、日本の「あいまいさ」を軸とする文化や、資本主義と少子高齢化の関連性にも及んでいく。やがて舞台は、マリー゠ルーの職場である介護施設へと移り、そこでふたりは、マリー゠ルーが実施を望む「ユマニチュード」という介護技術の詳細や、マリー゠ルーの母の過去に加え、資本主義社会の構造と問題点について、饒舌に語るのである。

映画『急に具合が悪くなる』

濱口監督の代表作『ドライブ・マイ・カー』と比較すると?

 ホワイトボードを用いた、およそ10分にも及ぶ資本主義の「講義」には圧倒されるが、しかし考えてみると、このふたりは実質的な初対面から、まだ半日ほどの時間しか経てはいないのだ。その関係性の進展の速さには、改めて驚かされる(じっさい、真理が自分たちの仲が短い間で深まりを見せることに対して、驚きを漏らす場面もある)。

映画『急に具合が悪くなる』

 こうしたことを意識するのは、監督である濱口竜介の過去作『ドライブ・マイ・カー』(2021)との対照性もあるだろう。『ドライブ・マイ・カー』では、『急に具合が悪くなる』と同じく、舞台演出家が物語の主人公となり、演劇のシーンも多く現れる。

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 しかし、『ドライブ・マイ・カー』における人物の関係性は、進展そのものは決してスムーズとは言えない。主人公である家福(西島秀俊)は、妻・音(霧島れいか)が自身の不在時に男と自宅で情事にふけっていたことを心の傷として抱え続けており、音の急死後も、生活のなかでは無意識のうちにどこか他人とのあいだに線を引いている。そんな家福と深くかかわるのが、彼の専属ドライバーとなるみさき(三浦透子)だが、ドライブを繰り返す過程で、ふたりは徐々にお互いの深部に触れる話をするようになり、やがてお互いの語らなかった大きな秘密を吐露することが、劇のクライマックスとなる。『ドライブ・マイ・カー』と『急に具合が悪くなる』は、ともに3時間ほどの長尺をもつという意味でも共通点があるものの、人物の関係性の進展の速度においては、この2作はきわめて対照的である。