「私の生きる道はデスマッチなんだ」パイオニアの覚悟
――新生FMWが始動すると、96年5月から工藤さんはデスマッチに挑みます。いまでこそ多くの女子選手がデスマッチを行なっていますが、工藤さんがパイオニアでした。
工藤 ファンだけじゃなく、選手間でも「女子がデスマッチをやるもんじゃない」という声はあったし、他団体の選手もいい印象を持たなかったと思います。ただ、当時は私の耳に入りませんでした。
もちろん身体に傷が残るのは嫌でしたが、FMW女子だからできるスタイルを追求したかったんです。私の生きる道はデスマッチなんだ、という覚悟で挑みました。
――デスマッチ挑戦に対して、親御さんはどんな反応でしたか?
工藤 それまでは普通に試合を観に来てくれていたんですけど、有刺鉄線が出てきてからは「もう観ることができない」と言われて。それでもデスマッチを続けました。
神取忍との試合で命の危機「知らない自分が戦っているよう」
――命の危機を感じることはありましたか?
工藤 神取さんとの試合(97年1月)で、首にチェーンを巻かれた状態で後楽園ホールのバルコニーに吊るされたときは、呼吸困難になりました。ギブアップしたいのに声が出ないし、手で叩くこともできない。
意識が遠のいたところで降ろされたんですが、実はその試合で一度意識を失って落ちていたんです。その後、朦朧とした状態で試合をして。あとで映像を観たら、知らない自分が戦っているようでした。
――97年4月29日、横浜アリーナで引退試合をします。シャーク土屋さんとの「ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードダブルヘルデスマッチ」でした。
工藤 プロレスラーとしてやるべきことはやったので、次の世代にバトンを渡そうと引退を決意しました。豊田と話したら「私も同じ気持ちだった」と返ってきたので、一緒に辞めようとしたんですけど、会社から「2人同時に引退されたら困る」と言われて、時期をずらすことにしたんです。
