家父長制型認知症
これは認知症というより長年の習慣だろう。母は毎日欠かさず三食を用意し、父に給仕していた。かれこれ60年にわたって続けてきた習慣で、父にとって食事とは「食べる」というより母の給仕を受けること。母の前に「座る」ことなのだ。
この習慣こそ認知症の原因ではないだろうか。家事を一切せず、外でお金を稼ぐだけで、あとはすべて母任せ。いわゆる家父長制が認知症を招いている。父はアルツハイマー型というより家父長制型認知症といえるのではないだろうか。
認知症の診断基準のひとつであるDSM-5によれば、認知症とは「認知機能の低下」「認知行為の障害」(『認知症疾患診療ガイドライン 2017』日本神経学会監修 医学書院 2017年 以下同)であり、具体的には「毎日の活動において、認知欠損が自立を阻害する」こと。つまり認知欠損によって自立した生活が営めないということである。その認知欠損とは「せん妄の状況でのみ起こるものではない」「他の精神疾患によってうまく説明されない」とのこと。せん妄やうつ病、統合失調症などの精神疾患では説明できない認知欠損ということなのだが、家父長制なら説明がつくのではないだろうか。日本の診断基準でも認知症の本質とは、「いままでの暮らしができなくなること」(長谷川和夫、猪熊律子著『ボクはやっと認知症のことがわかった』KADOKAWA 2019年 以下同)とされている。「それまで当たり前にできていたことがうまく行なえなくなる」という「暮らしの障害」「生活障害」を認知症と呼ぶそうで、そのまま当てはめると父の認知症は母の死によって発症した。家事を一切してこなかったからこのような事態を招いたわけで、その根本原因は明らかに家父長制なのである。
あらためて調べてみると「家父長制」とは社会学の言葉で、こう定義されていた。
家長である男子が家父長権によって家族員を支配・統率する家族形態。
(『社会学辞典』有斐閣 昭和33年 以下同)
この「家父長権」とは「家父長制家族において家長が家族員に対して有する支配的権利」とのこと。家父長権に基づく家父長制という同語反復の定義であり、要するに男子が支配・統率する家族のことである。『近代家族の成立と終焉 新版』(上野千鶴子著 岩波現代文庫 2020年)によると、明治20年代に「主人」と「主婦」という対語が登場したという。これが父たちの世代にも通じる家父長制であり、男子は「主人」として、女子は「主婦」として生きるようになったらしい。確かに「主人」というからには支配する立場のようだが、実際に何をするのかというと――、
主人は家の棟ともなるべきものなれば、極めて志を大になし、家の細事には餘り氣を止めざるを宜とす
(『現代靑年少年百科辭典』靑少年敎育會編 日本博文舘 大正14年 以下同)
主人の主人たるゆえんは、家の細かな事を気にとめないこと。まるで認知症に向けたトレーニングなのである。