主人は「いつもハッピーで能天気」であるべし!?

 なんでも「(いへ)細小(こまか)なる事業(しごと)(つかさ)どる」のは主婦の役割であり、主人は「大粗(おほまか)」でなければならない。家の者に対しても「(こま)かなる過失(あやまち)(あま)(はなは)だしく()めざる」、つまり細々(こまごま)と責めたりしてはいけない。そして「一()のものを()(あい)して(うれ)しく(くら)し」、さらには「萬事(ばんじ)(よろこ)びを(もつ)用事(ようじ)(さしむる(はう)要用(えゝよう)なりとす」とのこと。つまり主人はいつもハッピーで能天気でなければいけない。能天気ゆえに「自分(じぶん)(おも)(とほ)りに(おこな)はんとするときは、(かへつ)(いへ)不祥(ふしやう)(不祥事のこと)(きた)す事あれば、()夫婦(ふうふ) 親子(おやこ) 相談(さうだん)()げてなすべし」と戒めている。下手に自分の思い通りにしようとすると失敗すると警告までしているのだ。

 つまり「主人」とは実質はぼんくら、あるいは阿呆。まさに父のようなのである。父がよく口にする「なんにもしてない」というフレーズも実はその伝統に則っていたのだ。

写真はイメージ ©︎moonmoon/イメージマート

国が定めた「主婦」の役割

 一方、「主婦」の役割は国が定めていた。女子は「夫を主人と思ひ、敬ひ愼て(つかふ)べし」(「女大學」/『日本敎育文庫 敎科書篇』同文館 明治44年)という教えを受け継ぎ、女子師範学校の家事教科書などには「主婦の心得」として次のように記されている。

ADVERTISEMENT

主婦は夫を助け、舅姑に事へ、子女を敎養するの任あるのみならず、外は親戚・朋友と交りて其の親睦を保ち、內は婢僕を管理して各〻其の職務を盡さしめ、衣⻝住の事を掌りて一家の經濟を整へ、家人の健康を進め、家道をして隆盛ならしめんことを期せざるべからず。

(佐方志津、後閑菊野著『女子師範學校 家事敎科書 下卷』目黑書店、成美堂 大正6年)

 両親の介護から子育て、親戚や友人との付き合い、衣食住すべてを管理し、家計や皆の健康まで責任を負う。さらには「婢僕(使用人)」も仕切るので、「統帥心理」(豐岡茂夫著『女氣質と修養』博文館 明治43年)も必要とされていた。「主婦」というのは、その名のごとく家の「主」だったのである。すべてを支配しているのは実は主婦のほうで、主婦がいなくなれば主人が生活できなくなるのは必然であり、やはり認知症は制度的に生み出された症状なのだ。かつてトルストイも小説『クロイツェル・ソナタ』の中で結婚生活のことを「男に対する恐ろしい支配」(トルストイ著『クロイツェル・ソナタ 悪魔』原卓也訳 新潮文庫 平成17年改版 以下同)だと指摘していた。制度的には男性が女性を支配しているように見えるが、冷静に考えてみれば世の経済は女性仕様に形成されており、女性たちは「まるで女王のように、人類の九十パーセントを、隷属と重労働の中にとりこにしている」とのこと。男性と同等の権利を奪われてきたがゆえに、女性たちは「われわれの性欲に働きかけ、われわれを網の中に捕えることによって、復讐する」らしい。男性たちは捕らえられたまま馴化(じゅんか)され、網がなくては生きていけなくなるわけで、そうなると認知症も復讐の一形態なのだろうか。

次の記事に続く 末期がんを宣告された父と会話していたら…突然「ありがとう、ヒデミネ君」治らないはずの認知症が「治っている」と確信した瞬間