自分の肌の色や髪の毛を揶揄された小学生時代
――音楽が身近にあったんですね。小学生になってからの生活はどうでしたか?
3Li¥en 小学1年生の頃に産みのおかんと会う機会があって、その時期は産みのおかんの家からお兄ちゃんと一緒に1校目の学校に通っていました。ただ、そこでのいじめがほんまにひどくて。
班で並んで学校に行く朝に、小3のお兄ちゃんが周りから「お前黒人やから、落ちている果物食え」とか「草を体に入れろ」とか、えげつない差別発言をされてたんです。お兄ちゃんは気が弱かったし、みんなと仲良くしたいからやって済ませようとする強い子やったんですけど、私は「イヤだ! 怖い!」って騒ぎ散らかして騒動を起こしていました。
結局、私が耐えられなくなって「パパ迎えに来て」って騒いで、きっぱり縁を切っておとんの家に戻ったんです。
――お母さんとはその後どうなったんですか。
3Li¥en 産みのおかんとの縁はさっぱり切れましたね。彼女なりに事情があったとは信じてますけど、家の中もごちゃごちゃのゴミ屋敷で、生活面で育てられない状態やったので。
出て行く時に「一緒に(お父さんの家に)行かへん?」ってお兄ちゃんを誘ったんですけど、お兄ちゃんはもう友達との友情ができていたから「行くの嫌やわ」って七里(さいたま市見沼区)に残って。私だけパパに蕨(わらび)まで連れていってもらって、新しいおかんとのレゲエ・ヒップホップ人生が本格的に始まりました。
その後、再婚したおかんが弟を2人産んでくれたので、最終的には4人兄弟になりましたね。
「お前なんでそんな黒いねん」「チャラいな」転校した小学校でもあった差別
――転校した小学校での生活はいかがでしたか。
3Li¥en 引っ越した先でも差別はありました。子どもって余計に気になるから、髪の毛くりくりでピアス開けてる私を見て「お前なんでそんな黒いねん」「チャラいな」って。
「ゴリラ」とか「チンパンジー」とか普通に言われて、うちは瞬足が履きたかったのに、おかんから「そんなもん履かんでいい」ってウサギみたいな靴履かされて浮きまくってたし(笑)。
でも、うちのおとんがめちゃくちゃ熱い人で。私が泣いてると「こんなので泣く暇ないよ!」って怒るんですけど、いじめた子に「謝りに来い」って電話したり、学校に乗り込んで「校長を出せ!」って直訴してくれるんです。

