「アフリカ人でよかった!」心の広さに触れて得たもの

――急な環境変化ですね。

3Li¥en でも3ヶ月くらいしたらコロッと適応して、ムッチャおもろくなりましたね。あのまま都心でプリンセスライフしてたら、こんなたくましくはなれてなかったです。田舎に行って一番学んだのは、ほんまにお金がなくてもモノがなくても、みんな笑ってるってこと。些細なことで笑えるし、家族がいるありがたみとか、モノへの感謝を学べる最高の宝物をもらいました。あと、みんなめっちゃ優しいんですよ。

 

 自分たちもお金がないのに、こっちが「お腹空いた」って言ったら料理作ってくれるし、スリッパまで何でもギブしてくれる。アフリカ人は優しすぎて他の国にギブしすぎて困ってるくらいなんですけど、その心の広さに触れて「アフリカ人でよかった!」って自分のルーツに100%誇りを持てるようになりました。現地で生きるために必死に英語だけじゃなく、ブロークンイングリッシュの「ピジン(ナイジェリアの部族言葉が混ざった言葉)」も一から勉強して喋れるようになったし、脳みそと適応力に感謝です。

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「日本に帰りたい、日本の高校に行きたい」

――それから日本に戻ったのはいつ頃だったんですか?

3Li¥en 15歳くらいの時におとんに「日本に帰りたい、日本の高校に行きたい」って相談したら、「じゃあボストンにおばさんがおるから、そこ行ってから日本帰ってきたらええんちゃう」って軽く言われて。フッ軽な私は「行きたい!」って、数ヶ月間ボストンのおばさんの家に行きました。そのおばさんもすげえゲットーな人で、「何寝てんの! 起きなさい! 皿洗いしなさい!」って毎日ビシバシしごかれつつ、アメリカンカルチャーもブレンドして、そこからドンブラコと日本に帰ってきました。

写真=志水隆/文藝春秋

次の記事に続く 「父親は朝から晩まで叫び散らかし」「ゴミ屋敷のような家で…」高校生から夜の店で働いていたギャルラッパー・3Li¥en(25)の衝撃の半生

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