歌人・与謝野晶子(1878~1942)は貧乏をしながら11人の子どもを育てたワーキングマザーでした。平均寿命が45歳の時代に、40歳を過ぎてから着物のファッションリーダーとなり、41歳からは女子も学べる学校の創設に奔走。「人生の後半こそ仕事を選ぶな」と言ったといいます。
ヤマザキマリさんが、与謝野晶子と自身のあいだに見出した“共通点”とは? 『週刊文春WOMAN 2026夏号』より、一部を抜粋の上ご紹介します。
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肝っ玉母さんだった与謝野晶子と私の共通点
ひとまず与謝野晶子と私の共通点といえば、ひどい貧乏の経験者ということだろう。晶子は若くして処女歌集『みだれ髪』がベストセラーになったが、22歳で結婚した5歳年上の夫・鉄幹は主宰していた文芸誌『明星』が廃刊になり、スランプに陥って作歌をしなくなってしまった。収入が途絶えたため、晶子は家族を養うために歌を作りまくった。呼ばれれば北海道から九州まで出かけていって講演をこなし、深夜まで歌を作る。そんな生活を大勢の子育てをしながらやってのけたのだ。
子どもたちには男女とも高等教育を授け、晶子は晶子で自分の仕事と家事をこなし(料理の腕もなかなかのものだったらしい)、失業中の夫も養うという肝っ玉母さんだったのである。
パートナーが稼ぎのない歌人というところも苦々しい共通点である。11年にわたるフィレンツェでの留学生活中、私が一緒に暮らし続けた相手は自称“詩人”だった。フィレンツェ大学と音楽院を掛け持ちして学びながら細々と詩を書いては、売れもしない詩集を出版していた。詩人と絵描きが一緒になれば貧乏必至だが、私は彼に詩を書くことを諦めてほしくなくて、日本の観光客のガイドや商業系の取引の通訳などなんでも引き受けて一生懸命に働いた。当時日本はバブル経済の真っ只中にあったおかげで、依頼は絶え間なかった。
こうして女性が必死に働いてしまうと、男性はますます何もしなくなる。特に詩人の場合は、詩人たる人間は貧乏で当たり前だと思っていた節があり、お金もなく名声も得られないダメな自分に酔いしれているところがあった。私が働かなかったら二人で飢え死にしていただろう。

