人見知りだからこそ、講演では私が一方的に捲し立てるように喋り倒す。ただ、私の場合は、講演でもテレビでもラジオでも原稿や台本をほとんど見ない。決められた言葉しか喋ってはならないとなると、逆に喋れなくなってしまうのである。瞬時頭に浮かんだ考えを自在に言語化するのは得意だが、そうでなければ黙っている。
晶子は進取の気性に富んだアヴァンギャルドな人だった
驚いたことに、晶子は17年間で12人の子どもを生み(そのうち1人は生後まもなく死亡)、少なくとも大正5年には無痛分娩で出産したことを明かしている。晶子は進取の気性に富んだアヴァンギャルドな人だったのだ。そもそも『みだれ髪』に収録されている歌は、妻子持ちだった鉄幹への横溢する恋心を赤裸々に詠んだ、当時の常識では考えられない型破りなものだった。自らの不倫をあからさまにするのは現代であっても十分にスキャンダラスなことだが、貞淑な良妻賢母が強く求められた時代に、晶子はバッシングの嵐とも気丈に向き合った。難しい立場や心情を自在な言葉で表現する歌は若い女性たちから強く支持され、一躍人気歌人となった。
炎上をものともしなかった晶子のバックグラウンド
それだけではない。日露戦争に出征した弟への想いを表現した『君死にたまふことなかれ』は、「なぜ天皇は戦争へ行かないのにあなたは血を流すのか」といった意味の、戦争を正当化する当時の社会に対する批判的な内容で、晶子はこのときも世間から猛烈なバッシングに遭う。今でいう炎上というやつだ。しかし晶子は毅然と「弟を心配して何がおかしい? 命を大切だと思うのは当然ではないか」と反論したことで、大勢の支持者を得ることになった。晶子がこうした炎上をものともしなかったのは、自分の味方となってくれる大人数の家族というバックグラウンドがあったからかもしれない。
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歌人として、また炎上上等のインフルエンサーとしての地位を築いた晶子は、自分の名前をブランド化し、それを活かしたマーチャンダイジングを手掛けるようになりました。その後も、次々と新しい分野に踏み込んでいき……記事全文は『週刊文春WOMAN 2026夏号』で読むことができます。
写真:本人提供、文藝春秋
