権藤 あと、体勢を崩されても打つ練習など、後々になって聞いて、さすがだな、と。自分に対してまともに勝負に来るわけがない、と思ったからこその対策でしょう。ただ、練習して打てるなら誰でも打てるわけで、ミスターだからできたこと、としか説明できない。

入団2年で65勝を挙げた権藤博さん(元中日ドラゴンズ) ©文藝春秋

 外木場 ちなみに大根切りでホームランを打たれた翌年、私が三度目のノーヒットノーランを達成した試合で、巨人を相手に7回2アウトから王さんにフォアボールを与えて長嶋さんが打席に入るという、前の年とまったく同じシチュエーションを迎えたんです。この時は運よく抑えられましたが、前の年の大根切りが脳裏をよぎりました。

オーラに吸い込まれた

 権藤 実は、私の場合、いい当たりをされたのは最初の対戦くらい。あとはほとんどが片手一本でコツンとバットに当てられて外野の前に落とされるようなヒットだった。

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 たとえば、カーブを投げて空振りしながら尻もちをついて頭を掻いていたのに、2ストライクまで追い込んで「三振を取ってやろう」と、もう一回アウトコースいっぱいにカーブを投げると、体勢がガタガタに崩れて顎が上がっていても、バットで拾ってライト前に落とされてしまう。特に1年目(1961年)はそういうのばっかりで4割5分近く打たれて、まったく抑えられるイメージは湧かなかった。結局、次の年も30勝はしたけれど、本当にベストの状態で投げられたのはこの1年だけ。その1年に、絶好調でMVPまで獲った全盛期のミスターに向かっていけた。九州の田舎者が、よくぞそういう縁に巡り合えたと思う。

 忘れられないのが、試合中によく声をかけられたこと。ミスターがランナーで一塁にいて、バッターがファウルを打つと、二塁から一塁に戻る途中に、スーッとマウンドに寄ってきて「ゴンちゃん頑張れよ!」とか「いいボールだね!」とか言って帰っていく(笑)。あと新幹線で会った時に、「疲れは取れたかい?」なんて声をかけられたのも懐かしい。

遠征先の旅館でスイングを練習する長嶋茂雄 ©文藝春秋

 外木場 私は、長嶋さんとの対戦成績はさほど悪くないのですが、「土壇場でやられた」という印象が強く残っています。バッターボックスで「さぁ来い!」と叫びながら構えたときの威圧感は、今も忘れません。

約7400字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年7月号に掲載されています(権藤博×外木場義郎×平松政次「みんな忘れちゃいないか、バッター長嶋茂雄の凄さを」)。

■権藤博(ごんどう・ひろし) 1938年生まれ。1961年中日入団。1年目から大車輪の連投で沢村賞などを獲得。「権藤、権藤、雨、権藤」は流行語に。対長嶋成績は被打率.362、7本塁打

■外木場義郎(そとこば・よしろう) 1945年生まれ。1965年広島入団。1年目プロ初勝利がノーヒットノーラン。1975年沢村賞で広島初優勝に貢献。対長嶋成績は被打率.246、10本塁打

■平松政次(ひらまつ・まさじ) 1947年生まれ。1967年大洋入団。金田正一の65勝に次ぐ歴代2位の巨人戦51勝。1970年沢村賞。通算201勝。対長嶋成績は被打率.193、8本塁打

出典元

文藝春秋

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