即興で思考するとは「脱線」を乗りこなすことである
プレゼンテーションの即興性は、「大学の教室でどう教えるか」という問題を超えた、われわれの勉強の態度にかかわる問題です。
わたしはよく「知識網」という言葉を好んで使っています。これは知識のネットワークのことで、「なにを知っているか」という項目としての知識よりも、「それらが脳内でどう繋がっているか」にフォーカスした言葉です。だれもが独自の知識網をもっていて、たとえば同じ百個の知識であっても、それらがたがいにどう接続されているかによって、ひとつひとつの知識がもつ意味も、それにアクセスしたときに起動される配線や情報クラスタも、まったく違ってきます。
即興で喋るとき、ひとはこの知識網を衆目に晒すことになります。オープニングに使う「つかみ」の話題から、つぎのトピックへ、また次へと、思考のフィールドが移ってゆく。これを、否定的な意味で「脱線」と呼ぶひともいるでしょう。
しかし、以上の話からわかるように、わたしはプレゼンテーションにおいては「脱線もいいじゃないか」どころではなく、「脱線していないとダメなのだ」と思っています。面白ければ脱線も許容されるという話ではなく、即興での思考とは本質的に脱線を乗りこなすことにほかならないのです。その能力は執筆をふくめ、あらゆる知的営為の基盤にある。
もちろん、このように知識網を晒せば、誰でもレクチャーなりエンタメなりの「コンテンツ」として成立させられるかどうかは別問題です。これをいかに成り立たせるかという点に、プレゼンテーションと即興が勉強にとってどう重要なのかについてのヒントがある。二つあります。
第一に、知識網を見せることでプレゼンテーションを成立させるためには、当然ですが、見せるに値する知識網を持っていなければならない、ということです。つまり、みずからに即興性を課することは、「いかに知識を増やすか」ではなく「いかに知識網を育てるか」という観点から、ふだんの勉強に取り組むことを要請します。じつはこの「知識網を育てる」という観点はインプットと生産性の問題と結びついているのですが、これについては、また回をあらためて詳しく書きたいと思っています。
そして第二に、即興のプレゼンテーションにおいて、知識網はただ一方的に提示されるだけではありません。そこでは、かならず聴衆とのインタラクションが発生します。今回はこっちにフォーカスしたい。
これはもちろん、たとえば聴衆が質問を投げかけ、思わぬ方向へ思考を展開させるというような、明示的なケースもあります。これも非常に重要です。ただ、それだけではなく、たとえば百人規模の沈黙した聴衆をまえに、こちらが一方的に喋るようなケースであっても、その「集団」から発される言外のリアクションのようなものってあるんですね。それは、手元の原稿を読み上げていたら気づけないかもしれないが、顔をあげて即興で喋っていると、如実に伝わってくる。
即興では、知識のつながりを呼び出しながら、そのネットワーク上をたえず移動することになります。しかし、その経路は事前に決まっておらず、話し手自身、つぎにどう動くのか完全には予想がつかない。
この予測不可能性に思考を晒すことこそが、即興性を呼び込むことのおおきな意義です。そこに聴衆というランダムな要素を積極的に介入させ、アウトプットとリアクションのフィードバック・ループをまわし、書斎での沈思黙考ではとても進まなかったであろう方向へ思考を転がしてゆく。そのなかで、項目としての量的な知識ではなく、知識の「網」を育て、思考という運動の神経、いわば思考神経を鍛えるわけです。
プレゼンテーション、それは即興性という、日々の「勉強」でつい閑却されがちな、しかし強いポテンシャルを秘めている要素を取り戻すための貴重な機会です。完璧にコントロールされたプレゼンと並行して、いきなりステージに放り出されて即興で喋りとおすような機会を自分に課すことで、あなたの今後のプレゼンテーションはもちろん、ふだんの勉強もまた、違って見えてくる。
今回はそういうお話でした。
