老いをどう書くか
小池 桐野さんは小説のテーマとして、「老い」をどう捉えていますか?
桐野 どうやって書けばいいのかしら。成熟というかたちでは書けるかもしれない。あるいは、すごくネガティブなニュアンスなら書けるかもしれないけれど自信ないね。
小池 私は「老い」そのものじゃなくて「老いていくこと」への不安感に興味がある。死ではないんだよね、死んじゃえば終わりだからいいんだけど、「老いていく過程」に対する不安って、今、多くの人たちが抱えているものじゃないかな。それを何らかのかたちで作品化できたらいいなと思っているんだけど。
桐野 どういうかたちになるのかな。
小池 かたちが問題だね。あまりにもリアルには書きたくないし。でも、書いちゃおうかなっていう気もあるの。
桐野 小池さんの短編集にはその気配がある気がする。「微笑み」では、主人公のシナが20歳年下の大学生ヨウジと短い恋をするよね。25年後に二人はコロナ下で再会するけれど、ヨウジは気鋭の画家になっていて、シナは老いのとば口に立っている……。この先の二人の話を読んでみたいと思った。「日暮れのあと」も、植木屋の青年がつきあっている恋人は64歳の風俗嬢だし。
小池 今回の短編集では、まだ「老い」と正面きってむきあうところまでは筆を進めていないかな。いつか自尊心をかなぐり捨てて書いてやろうと思うけれど(笑)。
桐野 ぜひ書いて。私も不安だもの。いずれ死ぬ時、私は何を思うのかなとか、考え始めると怖くなる時がある。
小池 それは死に対して?
桐野 死ぬまでの過程に興味と恐怖があるかな。実際に友達の死の様子を見たり、藤田さんのお話を聞いたりすると、なおさら自分の時はどういう道筋を辿るのだろうと思う。70歳になると、死がもう近くにあると感じるから。
小池 明日、死が来るかもしれない。
桐野 今、時間がたつのが飛ぶように早いでしょう。
小池 ついこの間、70歳になって古希だと言っていたら、あっという間に1年たち……。
桐野 あなたはいいわよ、1歳若いんだから(笑)。
小池 たった1歳よ(笑)。
桐野 小池さんは若い頃に戻りたい?
小池 懐かしいけれど戻りたくはない。でも、自分の過ごしてきた人生については全部肯定的に受けとめてるよ。
桐野 「日暮れのあと」に、「過ぎてみれば、全部、どうってことなかった」という一節があったよね。これ、すべてを言い表していると思った。私もノーモラル、ノールールで作家をやってきたけど(笑)、後悔はまったくない。
小池 そうじゃないと小説なんて書けないよ。モラリストに小説は書けない。
桐野 今、作家でもコンプライアンスを気にする人がいるじゃない? 最近、恋愛小説が書きにくくなったと言われるけれど、よくないよね。
小池 私なんてすぐ「不倫作家」と言われる(笑)。不倫を描くことが一部の読者に嫌われているのは知っているけれど、開き直って書いてるところがある。小説で婚外恋愛や不貞が描けなくなったらおしまいだから。
桐野 愛を描く時に、法律や制度にとらわれないのは当たり前なのにね。ちょっと道に外れたことを書くと、ポリティカルコレクトネスに引っかかって、世間に検閲される風潮は本当に嫌ですね。
小池 桐野さん、いつまで書くかと言われたら、ずっと書くでしょう?
桐野 もちろん書きます。
小池 男の作家の話を聞くと、計画的に「あと10年書けるとして、来年はこれ、再来年はこれ」って予定表を作るんだって。うちの旦那もそうだった。5年先ぐらいまで、きちんと計画を立てて仕事をしていた。
桐野 そうなの? 私なんか出たとこ勝負よ。
小池 そうでしょ。だって、先のことなんてわからないじゃない? 5年後、10年後、楽しいことがあるかもしれないし、最悪な状態かもしれないし。
桐野 最悪って何だろう? やっぱり病気は嫌ね。
小池 書けなくなることが嫌。体の病気か、それとも頭の病気か。
桐野 認知症は怖いよ。
小池 内臓の病気だったら、寝たきりになっても書けるものね。
桐野 でも、認知症になって、脈絡のない文章を書いていくのも、それはそれで面白いかもしれない(笑)。
小池 恐ろしい話を聞いたんだけど、専門的なことを長くやってきた人、作家もそうだし、学者とか医者とか、いわゆる専門職の人たちって、認知症がかなり進んでも、専門分野のことだけはきちんとできるんだって。
桐野 じゃ、いいじゃない。
小池 でも、ちょっと怖くない?
桐野 いいわよ、小説が書けるんだったら(笑)。
小池 自分の身のまわりのことが全然わからなくなっても、小説だけ書いてるのよ。
桐野 そうなったら、誰か教えてくれるかしらね。ひとりだとわからない。
小池 私たち、正直に言い合おうね。「なんか最近おかしいよ」って。
桐野 「あなた変よ」って(笑)。年を取っても、面白いことはまだありそうだね。
小池 未知の領域に入っていくわけだから、書くことは尽きないですよ。
(この対談は、「オール讀物」2023年7月号からの転載です)
桐野夏生(きりのなつお) 1951年金沢生まれ。2023年『燕は戻ってこない』で毎日芸術賞、吉川英治文学賞。近著に『ダークネス』『眠れぬおまえに遠くの夜を』。
小池真理子(こいけまりこ) 1952年東京生まれ。2013年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『アナベル・リイ』『ウロボロスの環』。
