――愛すべきおばあさまですね。
村田 ねー、癖強いんですよ。ふふふ。
義母は「ちょっとさみしい」「京都は遠いよ」と…
――じゃあ結婚が決まってからは、つつがなく進んで。
村田 群馬にいる向こうの親御さんが、だいぶ心配ではあったみたいで、知晴さんは次男なんですけど、男の子やからいずれは実家に戻ってくると思ってらして。とくにお母さんが「ちょっとさみしい」「京都は遠いよ」とおっしゃられて、あーもう反対されたなーって私は思ったんですね。そのときに、知晴さんのお父さんが、「大人になった自分の息子がこの人がいいって連れてきた人を、自分たちが反対するようなことはしないほうがいい」ってお母さんとお話しされたみたいで。
そこからお母さまもそういうことはおっしゃらなくなって、結婚前はね、それを言われると、やっぱり歓迎されてないなとか、本当は反対されてるのかなとか、いろいろ考えてしまうので、お父さまがそう言ってくださったのがすごくありがたかったですね。
――結婚式は京都で大々的に。
村田 披露宴はホテルで、お式は八坂さん(八坂神社)で。ちっちゃいときから八坂さんがすぐそこなので、子どもが生まれても八坂さんですし。お宮参りも、七五三も。
「私は跡を取らなあかんのに、将来の夢とか書いていいの?」
――村田さんは京都の料亭のご長女として生まれて、ちょっと特殊な世界といいますか、小さい頃は、この環境がふつうだと思われていたのかなと。
村田 そうですねえ。母から聞いた話なんですが、小学校低学年で将来の夢を書く宿題が出たときに、私がすごく困っていたそうなんです。母が「どしたん?」と聞いたら、「私は跡を取らなあかんのに、将来の夢とか書いていいの?」って言ったらしくて。
――えー。
村田 それを聞いた母が泣いてしまったみたいで。そんなふうに思ってたんかいなって、ショックを受けて。
――そのときの気持ちを、村田さんご自身は覚えていない?
村田 小さい頃は、母から跡を取るように言われたことはまったくなかったんですけど、それこそさっき出てきたおばあちゃんからは「あんたは跡取りやさかいに」ってことあるごとに言われてたんですね。母も父もいないときに、「お店はあなたがしないといけないからね」みたいなことを言われて、反発するまでもなく子ども心に「あ、そうなんか」ってそのまま受け止めて、みんながお花屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言っているのを、私は考えてもいいものかと悩んでいたらしいです。
――村田さんご自身が、「あ、私が(店を)継ぐのかな」と自覚したときのことは覚えていますか。
村田 継ぐのが嫌やなっていうのはずっと思っていました。いまはさすがに諦めましたけど、それこそ若女将と呼ばれるようになって、若女将としてお受けした取材でも、「いまでも逃げられるんやったら違うことしたいんです」って言ってしまっていると思うんですけど。
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