6月20日、歌手・俳優の美輪明宏さんが老衰により死去した。91歳だった。月刊誌『文藝春秋』の連載「有働由美子のマイフェアパーソン」では、数々の著名人と交際してきた美輪さんが驚きのエピソードを明かしている。

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包丁持ってこい

 有働 あえて聞きますが、美輪さんはやくざとの付き合いはありませんよね。

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 美輪 いえ、ありましたよ。

美輪明宏さん ©文藝春秋

 有働 えっ!

 美輪 本当に私がお付き合いさせていただいた天才たちは、“やくざな”方ばかりでした。江戸川乱歩先生なんて初対面の私の腕を包丁で切ろうと言いましたから。勿論冗談で。

 有働 ああ、そういうことですか。安心しました……え、包丁で腕を?

 美輪 そうですよ。私は1951年、16歳の時に銀座の「銀巴里」というシャンソン喫茶の専属歌手をしていたんです。そこに17代目中村勘三郎さん、今の勘九郎さんのお祖父ちゃんが、江戸川先生を連れていらしたんです。私、江戸川作品の愛読者だったので先生に「明智小五郎って、どんな方ですか?」と聞いたら、先生は「腕を切ったら、青い血が出そうな男だよ」とおっしゃった。私が「どんなことがあっても知的で感情的にならずに制御できる人間って素敵じゃない」と申し上げたら、先生は「ふーん」って。それで「君はここを切ったらどんな色の血が出るんだい?」と言われたんです。「七色の血が出ますよ」と返したら、「面白いね、じゃあ切ってみようか。包丁持ってこい」ですよ。このジジイ、やりかねないなと思った(笑)。

 有働 なんと、やくざな(笑)。

書斎で執筆に勤しむ江戸川乱歩 ©文藝春秋

 美輪 そこで私は「およしなさいまし」と。「どうしてだ?」と聞き返すので「切ったらそこから七色の虹が出て、先生の目がつぶれますよ」。そんなやりとりを気に入ってくれて、先生とお知り合いになれたのです。

 それから何カ月か後に三島由紀夫さんが店に見えました。三島さんとも仲よくなり、ちょくちょくいらしてくださるようになりました。それから10年近く経った後の1961年、三島さんが江戸川先生が戦前にお書きになった『黒蜥蜴』という小説を脚色して、お芝居になったんです。その主役を後に私が演じさせてもらい、大ヒットになりました。なんだか不思議なご縁でしょ?