俳優・歌手の倍賞千恵子が、この6月29日に85歳の誕生日を迎えた。歌手としてのブレイク、乳がん闘病、8歳下男性との出会いと再婚……。映画デビューから65年、今も第一線で活躍する“下町の太陽”の歩みとは。(全3回の3回目)
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倍賞千恵子は21歳のときに「下町の太陽」(1962年)でレコードデビューしたとき、芝居と歌の両輪でやっていこうと決めて以来、俳優の仕事とともに歌手活動を続けてきた。
「下町の太陽」にはこんな誕生秘話が残る。当時、レコード各社が映画スターを歌手に起用して成功するなか、キングレコードだけはなかなかヒットに恵まれなかった。そこで童謡担当のディレクターだった長田暁二(のちに音楽文化評論家として活躍)が歌謡曲も兼任するよう会社から命じられ、倍賞に目をつけると半年がかりで口説き落としたという。
「下町の太陽」はもともとB面用につくられたが、A面のためにつくった曲より断然いいと長田が判断して変更するなど、発売までには紆余曲折があった。しかもキングレコードの社内では「映画女優は、その主演映画の主題歌で出てくるべきである」との意見が大勢を占めてなかなか発売にOKが出ず、そのうちに倍賞が出演映画『はだしの花嫁』(1962年)の主題歌「瀬戸の恋唄」を吹き込み、こちらがデビュー曲になりそうだった。
それでも長田は粘って「下町の太陽」を「瀬戸の恋唄」と同日発売という形で滑り込ませる(西山正『倍賞家の人々――きょうだいの詩』毎日新聞社、1983年)。品番は「下町の太陽」のほうが若く、こちらがデビュー曲とされるゆえんである。
2001年に乳がんに…手術台で「下町の太陽」を歌った
発売後、倍賞が松竹専属だったためレコードのプロモーション活動ができないなか、長田は、ラジオのベストテン番組へせっせと投票ハガキを送るだけでなく、知人たちにもそれを頼み込んだ。そのかいあって、ラジオで「下町の太陽」が流れ始め、ヒットへとつながる。この年の日本レコード大賞で彼女は北島三郎とともに新人賞を受賞した。
2001年に乳がんの手術をしたときには、手術台に横たわってから、執刀する医師のひとりに「僕、倍賞さんの歌、好きでねえ」と言われ、「じゃあ歌いましょうか」と「下町の太陽」を麻酔が効いて意識朦朧になるまで歌ったという。ちなみにその後、動脈瘤で手術を受けたときにも、手術台の上で今度は「I.C.U」という自分の歌をうたったが、さすがに「点滴はずしちゃっていいじゃない」という内容の歌詞は《手術台で歌うにはふさわしくない歌でしたね(笑)》と、あとになって茶目っ気たっぷりに語っている(『がんサポート』2012年2月号)。

