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首を絞め失神させた彼女を強姦し逃げようとしたところ、Bさんが意識を取り戻したため再び首を絞め殺害したそうだ。
2件の殺人と強姦致死罪で起訴された李は事件当時18歳だったにもかかわらず刑事裁判にかけられ、1959年2月27日、東京地裁の判決公判で死刑を言い渡される。
助命を願う声が集まったが⋯
この判決に対し、事件の背景に貧困や朝鮮人差別の問題があったと作家の大岡昇平や吉川英治ら文化人が助命請願運動を起こし、1960年9月に「李少年を助けるためのお願い」と題した以下の声明文を発表する。
〈私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります〉
また被害者遺族の1人も「これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪を犯してきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋合いはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社に引き取りましょう」と申し出たが、控訴審も上告審も訴えを棄却し、1961年8月17日に死刑が確定する。