現在進行形でエリート街道を爆走するチェンジャック氏だが、彼の人生は決して生まれつきの天才として無双してきたわけではない。

 幼少期から常に比較され続けた、遥かに凌駕する頭脳を持つ双子の兄の存在。中学受験での敗北。親戚からの心無い言葉……。完璧に思える男は、いかにして強烈なコンプレックスと向き合い、自らを再構築してきたのか。彼の本音を聞く。

 

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双子の兄と比較して「もっと頑張らないと」と思っていた

――ここでは幼少期について聞かせてください。小学生時代はどのような子だったのでしょう。

チェン 両親が中国人ということもあってか、小学校のときは、喧嘩になると平気で「国に帰れ」とか言われていましたね。当時はそこまで深刻に受け止めていなかったけれど、イジメのようなものですよね。

 ただ、小学校の記憶はほぼなくて……。というのも、中学受験のために通っていた塾に意識を注いでいたので。

――中学受験が中心となった小学校生活はいかがでしたか。

チェン 双子の兄と比較してしまって、常に「もっと頑張らないと」と思っていた記憶があります。

 小4で兄とともに入った日能研では、入塾テストの結果でクラス分けがあるのですが、兄は一番上のクラスの上位争い、私は2番目のクラスでもさほど上位ではなく……といった具合でした。

 日能研は同じクラスのなかで成績順に前に座っていきます。兄は最上位クラスの1列目、私は1個下のクラスの後ろのほうだったりしたことをよく覚えています。

 

親戚から「お兄ちゃんの金魚のフン」

――お兄さんに対して対抗心のようなものはあったのでしょうか。

チェン いや、「勝ちたい」というよりも受け入れていましたね。親戚からも「お兄ちゃんの金魚のフン」とか言われて、「勝ちたい」という気持ちではありませんでした(笑)。幸い、両親は兄と私で扱いを変えることがなかったので、人格が歪むことはなかったと思いますが……。

――入塾から学力は伸びていった。

チェン はい、入塾時よりは学力が上がったと思います。小6で兄と同じ最上位クラスに入ることができました。ただ、成績で兄を上回れたのは1回だけ、それも兄が調子があまりよくないときです。

 当時、日能研の全国模試では、ほんの一部の成績優秀者のみ、順位表に漢字で名前が載ります。それ以降は、カタカナ表記です。兄はだいたいいつも成績優秀者の欄に名前があり、私はいつもカタカナ……といった具合です。