とても脆く見えたザッカーバーグ

 実際、私には彼はとても脆く見えた。世間がなぜこれほどまでに自分に対して不公平なのかと、怒るというより困惑しているように見えたからだ。フェイスブックがこの世に存在しているのは自分のおかげなのに、と。ザッカーバーグが強い被害者意識を見せたのは、これが初めてだったが、このあともそれが続く。フェイスブックへの正当な批判が高まるにつれ、このしつこい被害者意識は彼を何度も苦しめるのである。

 テック業界の影響力が強まれば、それへの反発もどうしても必要になるが、テック業界の男ども、とりわけ創業者や経営陣が反発の矢面に立つようになると、彼らの中に元々あった被害者意識に火がついて、決して消えてなくなることがなかった。

 この被害者意識が丸出しになったのは、ハーバード大学を中退したザッカーバーグが2017年に同大学の卒業式でスピーチを行ったときだった。目標を持ち、それを羅針盤にして生きるという高尚な理念を話しはじめたかと思ったら、いきなり方向転換して、「理想的であることは良いことだ。しかし、誤解される覚悟はしておこう。大きなビジョンに取り組む者はみな、たとえ最終的に正しかったとしても、狂人呼ばわりされてしまう。複雑な問題に取り組む者はみな、最初からすべてを知りえないにもかかわらず、問題の全体像を把握していないと非難されてしまう。率先して行動する者はみな、必ず誰かに足を引っ張られ、進むのが速すぎると批判されてしまう」と一気に不満をぶちまけたのである。

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 彼のこういうメンタリティは2010年にすでに芽生えていて、脚本家のアーロン・ソーキンがなぜ自分を標的にするのかと文句を言っていた。私には、なぜザッカーバーグが自分が現実世界に与えている影響よりも、くだらない映画を気にするのか、どうしても理解できなかった。「悪名高くなりなさいよ、マーク」と私は冗談を言いながら、壇上で行うインタビューの準備を始めるために席を立った。