ドロドロの向こう側にあるもの
その先輩の勧めで観に行ったのが、松尾スズキ作・演出の「マシーン日記」だった。松尾は今でこそ、メジャーなフィールドでも活躍しているが、当時はよりアングラ色が強かった。それを見た星野は、「偽善的なものが自分で溜まってて、でも全部バーンとぶち壊されたような」気がするほど、衝撃を受けた。「ドロドロしたものの向こう側にものすごい純粋なものがある」ということを知って、どんどんとディープなカルチャーを求めるようになっていった(「ROCKINʼON JAPAN」2011年6月号)。また、松尾スズキの『大人失格』や宮沢章夫の『牛への道』などのエッセイを夢中になって読み、自分もこういう文章を書いてみたいな、と思うようになった。そこから、エッセイや短編小説を大学ノートに書くようになった。ノートは、5冊分くらいになったという(「ダ・ヴィンチ」2015年10月号)。
同じ頃、カセットテープでアマチュア・レコーディングができる機材を友人から借り、宅録を始めた。親が誕生日に買ってくれた小さなドラムセットに毛布を重ねて、音が漏れないようにしながら録音していた。ただただ家の中で、学園生活で溜まっていったドロドロした想いを、あまり人には聴かせず、カセットテープに吹き込んでいった。「そうしないとおかしくなりそうだったので、呪いのような曲」がたくさんできた(『働く男』)。
俳優と音楽の“師”といえる存在との“出合い”
高校2年生になると、「演劇ぶっく」での募集を見つけて、松尾スズキのワークショップに2週間参加した。そこで年上の参加者から細野晴臣の存在を教わり、その音楽を知った。俳優、音楽それぞれの“師”といえる存在と同時に“出合った”のだ。その後、学園の先輩・野村卓史が自作した、トロピカル時代に絞った「細野晴臣ベスト」をカセットテープで聴き、さらに虜になった。
松尾が主宰する大人計画の「ドライブインカリフォルニア」を観て、感銘を受けた星野は、上演台本を購入し、それをもとに初めて舞台を演出した。その台本の面白さが理解できない共演の友人たちに「大丈夫だから、おもしろいから」と言い続け、実際に上演すると、「笑いが止まんないぐらい」ウケたという。この成功で、星野の周りには友人たちが集まるようになった。
だが、自分の中のドロドロが消えたわけではない。より深く己の内面に向き合った結果、精神が「パンクして」、学校に行けなくなってしまったのだ。
