自分たちの時代のカルチャー

 SAKEROCKの評価も日に日に高まっていく。2007年にはバナナマン単独ライブ『Spicy Flower』に楽曲を提供。これはシティボーイズのライブで様々なアーティストがオープニングテーマをつくっていたことに星野が憧れて、『アキハバラ@DEEP』で出会ったバナナマンに“営業”して実現したもの。や、バナナマンのライブの作家を務めているオークラも「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」(オークラ『自意識とコメディの日々』太田出版)ことを目標にしていたため、星野の提案はまさに渡りに船だった。設楽の発注は「とにかく速い曲」。それまでのSAKEROCKのイメージとは一線を画すものだ。その“難題”をクリアして星野が生み出したのが「行け、バナナ」という仮タイトルで、のちに「会社員」と名付けられる曲だった。オークラはそれを聴いて、度肝を抜かれ、胸が高鳴ったという。

「ほかのお笑いライブではかからないオープニング曲だった。シティボーイズ、ラジカル(・ガジベリビンバ・システム──引用者註)、細野晴臣が作り上げたカルチャーの土台を熟知し、新しいモノを作り上げる。猿真似ではない自分たちの時代のカルチャーを生み出せるかもしれない。そう感じたから胸が高鳴ったのだ」(『自意識とコメディの日々』)

 同じ2007年、ソロのCDフォトブック「ばらばら」(写真家・平野太呂との共作)が発売される。その少し前、声と歌にまったく自信がなかった星野が、知り合いに「弾き語りをやらないか」と誘われ、ライブで渋々歌ったことがきっかけだった。「渋々、といってもいつか人前で歌いたいと心の底では願っていたので『これで最後かもしれないから記念に』という想いと『何かにつながってくれ』という想いが入り交じって」(『働く男』)、2005年に200枚限定のCD-R『BAKANO UTA』を自主制作。その想いが本当につながった形だった。

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星野源 ©文藝春秋

 そして2010年、細野晴臣とA&Rの東榮一の勧めでファーストソロアルバム『ばかのうた』をリリースするのだ。29歳のときだった。

 翌2011年には初めてのレギュラーラジオ番組『RADIPEDIA』(J-WAVE)も始まり、2012年にはコント番組『LIFE!~人生に捧げるコント~』(NHK)にもレギュラー出演。そしてこの年、『ミュージックステーション』(テレビ朝日)と『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演を果たす。

 いよいよ「星野源の時代」が始まろうとしていた。

次の記事に続く 『星野源のオールナイトニッポン』終了…ライムスター宇多丸も認める“叩き上げのラジオリスナー”星野源がつくりあげた「わからないままでもいい場所」

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