高校2年から3年に上がるタイミングで3カ月ほど引き籠もった星野は、久しぶりに登校する。そしてその日、ふたつの誘いを受けた。ひとつが、日本民族舞踊部からの誘いだった。幼い頃からマイケル・ジャクソンが大好きだった星野は、その日から、自分も踊ることが大好きになった。無心で踊っていると自意識が消え、死んでいた心が生き返るように感じたのだ。「『踊る』と『生きる』という言葉が、自分の中で同じ意味になった」(星野源『いのちの車窓から』角川文庫)。

 そしてもうひとつは、「バンドをやらないか?」というものだった。誘ってくれたのは、のちにプロのミュージシャンとなる、クラスの人気者だった黒須遊だ。星野は、東京スカパラダイスオーケストラのコピーバンド「どーでスカ?」でパーカッションを担当し、初めてライヴに出て、その楽しさを知った。

SAKEROCKと大人計画

 大阪芸術大学・映像学科を受験するも落ちて、「浪人するぐらいだったらひとり暮らししたほうがいいんじゃないの、そっちのほうが勉強になるんじゃないか」と親に言われ(「ROCKINʼON JAPAN」2011年6月号)、高校を卒業すると、阿佐ヶ谷で一人暮らしを始めた。

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 バイトをしながら、舞台のオーディションを受け、チケットノルマに苦しみながら、思うように演じることができない悔しさで、「ずっと下を向いて歩いていた」(『LIGHT- HOUSE』第1回)。

 そして、星野が19歳のとき、「自分のバンド」を組んでみよう、と思い立ち、ついにインストバンド「SAKEROCK」が結成される。マーティン・デニーの曲「Sake Rock」がその名の由来だ。彼がエキゾチカ(エキゾチック・サウンド)と呼ばれるジャンルを切り拓き、細野晴臣も影響を受けたと知り、聴いてみると「なんてカッコいいんだ」と衝撃を受けたのだ。

 メンバーにはまず、かつて「ネコキャットホット」というバンドを組み、学生時代から音楽の趣味が合ったキーボードの野村卓史を誘った。ドラムの伊藤大地とベースの田中を加え、2000年10月、中野の喫茶店「クラシック」で顔合わせをし、始動。星野が主演した高校時代の自主映画『底無し刑事』で相方を演じたハマケンこと浜野謙太も、当初は「トロンボーンをやらないか?」と誘うも断られたが、のちに「司会をやってほしい」という要請に応じ、参加した。

SAKEROCK(2010年の写真) ©文藝春秋

 翌2001年には倉持が主宰するペンギンプルペイルパイルズの「ワークインタイムマシン」でプロとして初舞台を踏み(のちに同劇団のオリジナル・サウンドトラックも手がけている)、2003年には松尾スズキ演出・十八代目中村勘三郎(当時:五代目中村勘九郎)主演の「ニンゲン御破産」に松尾のアシスタントからの推薦で出演したことがきっかけとなり、大人計画事務所に所属。これをもって正式な俳優デビューとなった。