ベルリンのユダヤ博物館で出会った青年

――今回本のために書いてくださった「文庫版のあとがきにかえて」に、2003年に訪れたドイツ・ベルリンのユダヤ博物館の中庭での出来事が綴られています。ベンチに座って思いに沈んでいた小川さんに、博物館の制服を着たおそらくドイツ人の青年が「具合が悪いんじゃないか」と心配した眼差しを送ってくれた、というくだりです。この本当にささやかな、でも心があたたまる交流を読み、「属する国ではなく、個人で見るべきだ」と私はこのエピソードから感じました。

小川 別に、「あなた、パスポート見せてください」って話をするわけではないのでね(笑)。彼だって、私が日本人だか中国人だかベトナム人だか分かっていなかったと思いますよ。で、そのドイツ人青年が「大丈夫ですか?」という優しい視線を送ってくれたときに、私はそこにユダヤ人のペーターを見たっていうことなんです。

――人種じゃないんですね。

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小川 ぜんぜん! 違いますよ。

――好青年ってことですよね。

小川 そうです、そうです(力強く)。若者が年上の者に示す当然の労わりの中に、「あ、ペーターがここにいる!」と思えた。日記からペーターの思いやりを感じてキャッチして、私の中にペーターがいるからこそ、そのドイツ人青年の優しさをすんなり受け入れることができたんだと思うんですよ。

――いやぁ、いい話ですね。素敵です。

小川 あのね、ペーターやアンネを虐殺したドイツ人の子孫だわっていうふうには彼のことを思わないですよ……。それは、アンネやペーターが私の中に息づいてくれていたおかげです。

1954年に刊行された『光ほのかに アンネの日記』は、まるで聖歌集のような佇まい。函から出したところ。 写真:鈴木七絵

――そのユダヤ博物館の床はわざと傾いているんですよね。訪れた人は館内を歩くと通常の感覚が狂うような不安な気持ちにさせられる。なぜかといえば、ユダヤ人の虐殺や迫害の恐怖を来館者に体感させる意図で設計されているわけです。

小川 そうなんです。なんていうかな、歴史の反省というのはこれだけやったからもういいってことが無いんですよね。国が存続するかぎり、反省しても別にそれは自虐にはならないと思うし、反省することによってまた未来につながるものが育っていく。間違いを犯したっていうことを土台に置いて、正面から見つめて反省の気持ちを持つ。実際にその時代を生きて自分は体験したわけじゃないけど、申し訳ない気持ちを持つということは、全然後ろ向きじゃないと思うんですよね。

――むしろ前向き、でしょうか?

小川 そう思います。ナチス・ドイツがやったことについても、たとえ生まれた時代や国が違ったとしても、自分はまったく関係ないと思わないようにする。たとえば、もし自分があの時代のドイツに生まれていたとしたら、ヒットラー・ユーゲント(ナチスによる青少年団組織)に入ったのかな? というふうに想像してみる。その想像する力を持つためには、やっぱり反省しないとね。あるいは、いろんな文学に触れて色々な立場に自分を置き換えるという訓練をしておかなければならない、とも思うんです。

――やっぱり、そこに、本や活字の大事さがあるんですね。

小川 えぇ、あると思います。

――言葉の力がある。

小川 (力強く)そうです、そうです。どんなことでも他人事じゃないんですよね。あ、あれはあの人が悪いからああなったんだ、私関係ないわっていうふうに、思っちゃいけない。どんなことでも自分に置き換えて、もし自分だったらって考える癖をつけておくためにも、いろんな本を読んで、自分とは育った環境が違ったり、価値観が違ったりしても、人間はこういうふうになるんだ、自分もその恐れがないとはいえないなぁという想像力を働かせることが大切なんです。そういうものを私は本から学んだと思います。

(4回目に続く)

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