本人の曲が使われていなくても伝記映画『スターダスト』
1974年、そのダイアナ・ロスと16歳のマイケル・ジャクソンが連れ立って観に行ったのがデヴィッド・ボウイの『ダイアモンドの犬』北米ツアーだった。
『デヴィッド・ボウイ・アンド・ヒズ・ヒーローズ』(トム・ハグラー:著、荒木重光:訳/リットーミュージック)によれば、このころのマイケルはボウイに夢中で、ボウイと食事をした際に、このステージでボウイが披露した足を交互に後ろに滑らせる「バックスライド」の動きについて、何度も質問していたという。本書ではこれがマイケルの「ムーン・ウォーク」につながったのではないか、と指摘している。
その真偽はさておき、まだ両性具有のロックスター「ジギー・スターダスト」という人格を生み出す以前のボウイを描いた伝記映画が『スターダスト』(20年)だ。
アルバム『世界を売った男』をひっさげて母国イギリスからアメリカへやってきたものの、プロモーションツアーという名のドサ回りをする惨めさ。音楽や詩の世界に導いてくれた精神を病んだ異父兄への思い。そうした果てに生まれるジギー・スターダストという人格……時間を経るうちに、ちっともボウイに似ていない主演のジョニー・フリンがボウイに見えてくるのである。
しかも、本作は遺族と折り合いが付かず、ボウイの楽曲は使われていない。フリンが歌うのは、コード進行が似た「それらしい曲」がほとんどなのにもかかわらず、だ。
伝記映画では、アーティストのエッセンスをいかにくみとるかが重要だ、という好例だろう。



