「神さまのことは研究してはいけない」
今年5月に、内掌典であった高谷朝子さんが93歳で亡くなられました。高谷さんは昭和18年(1943年)に内掌典に上がられてから、57年にわたり奉仕された方です。ご著書『宮中賢所物語 五十七年間皇居に暮らして』(ビジネス社刊、のちに加筆・修正のうえ『皇室の祭祀と生きて 内掌典57年の日々』として河出文庫から刊行)からは、内掌典がご奉仕する御祭と御用などについて、その一端を知ることができます。高谷さんは私に対しても、実にさまざまなことをお教えくださいました。
「神様は研究してはいけない」。このことは、高谷朝子さんが「当時、上の方には『神さまのことは研究してはいけない。ただ素直に御用をさせていただくように。研究をすると神さまに御縁がなくなるのですよ』と教えていただきました」とインタビューでもお話しになっていました(「祖国と青年」平成18年2月号)。神様は神様であって、例えばここにどういう神様がいらっしゃるか、神様とはなんぞや、ということは考える必要がない。自分の身も心も清めてご奉仕するもの、というのが内掌典なのです。
夜の御用を終えた後、候所で宴会を行ったことも
内掌典と、その他の職員がお話をする機会は、思いのほかたくさんありました。毎日21時頃に内掌典は「おひけ」と言って、夜の御用を終えて候所に戻ります。当直の掌典補は皇宮警察の人と最終的な点検をするので、私が当直の日は内掌典候所の前を通った時に、「おやすみなさい」とお声をかけますと、少しお話をすることもありましたね。高谷朝子さんがお頭さん(上席、一番長くおつとめをする内掌典)になられた後は、候所で宴会をやったこともありました。若い人の中には、ワインが好きな人もいて、日本酒はもちろん、ビールなどのお酒も多少は召し上がっていたようです。男性の職員も一緒になってお話しできる機会でもあり、日々の楽しみの一つになっていたのではないかと思います。候所にはテレビもありました。
たまの息抜きはありますが、内掌典はさまざまなしきたりを守って、基本的には365日、賢所で生活を送っています。プライベートな時間は、内掌典候所で過ごし、時間がある時には、身の回りのこと、例えば手紙を書いたり、読書をしたり、若い人であれば3日に一度髪を結い直したりしているようです。
内掌典の食事は、雑仕(ざっし)が作ります。内掌典の手足は、神様のためだけに使われないといけない。自分のために使ってはいけないので、炊事・洗濯は雑仕の仕事です。食事の内容は魚と野菜が中心で、鶏肉以外の肉類や、バター、牛乳、肉のエキスが入った加工品などは食べません。豆乳やマーガリンなどはOKです。
最初の試練は「髪上げ」
賢所での生活は常に着物で、洋服は外出する時も着ません。候所をはじめとして全てが畳の間です。眠る時は、髪が崩れないように箱枕を使うそうです。時々、時代劇では箱枕に仰向けになって寝ている場合がありますが、それは間違い。顔を横に向けて寝るものなんですね。
賢所での生活を始めたばかりの内掌典の姿を見ていて、最初の試練として特に心に残っているのは「髪上げ」ができないことで四苦八苦していたことです。内掌典を拝命し、賢所での生活を始めた翌日は「おさえ」という髪型に上げます。まず内掌典の次席の人が新人の髪を上げるのに、4時間もかかるそうです。3回目くらいまでは先輩のお姉さんが新人を助けるのですが、そのあとからは自分でやるのです。そうすると10時間以上かけても、髪が上がらない。一日中髪上げです。髪を上げられないと御用ができません。髪を上げる時には「びんつけ油」を付けますので、舞妓さんや芸妓さんと同じような甘い香りがしますね。内掌典は、採用が決まった時から髪を切らずに伸ばすのだそうです。