最も重要かつ基本的な「次清」のこと
賢所での生活の中で、大切なことが「次(ツギ)」、「清(キヨ)」という概念です。「御殿での次清」、「候所での次清」が、最も重要かつ基本的なしきたりです。とても厳しいものだと思います。清浄ではないことを「次」、清浄なことを「清」と区別して、どんなに細かなことでも厳格に区別しています。社寺に参拝する前などのように「手水」をすると、手が綺麗になり、清められますね。これは「清」の状態です。一方で、体の下半身に触れたり、履物やお金、賢所の外から届いた郵便物を扱ったりした時などは手が「次」の状態になっている、という次第です。
私が掌典補としてお仕えした頃、内掌典の仕事のうち、簡単なところの手伝いをしたことがありました。例えば、「おすべし」。これは神様のお食事を下げるという仕事ですが、一つひとつ、今自分の手がどの状態なのか意識していないと、本当に分からなくなってしまいます。また、内掌典の場合、「御内陣」という神様がいらっしゃる場所で御用をする時や、しつらえてある物を持つ時は、手が「清い」以上の状態、「もったいない手」になっています。平常に戻す――「次める」と言いますが――ということもやらないといけない。清いと思っていたはずが、次になっている。これは大変なことですが、間違いを指摘された時は素直に自らの振る舞いを顧みるのだそうです。
上下が入れちがうということは、あってはならない
一般の人が畳の上で寝る時、布団を畳んで押し入れに入れてまた出して、としている間に、ひょっとしたら布団の頭と足の位置が逆になっていることもあるでしょう。これもいけません。上半身は「清」。下半身は「次」なので、上下が入れちがうということはあってはならないのです。
また、入浴の時は湯船に肩まで浸かるのではなく、大たらいを使って行水するようです。これも「次」と「清」の関係ですね。バスタオルで体をふくのではなく、浴衣を着て水分を拭き取るそうです。浴衣の語源は「ゆかたびら」と言って、「かたびら」は薄い着物のことを指します。お湯で使うので、「ゆ・かたびら」。それが短くなって「ゆかた」。バスローブのような役割を果たしているのですね。あらゆる生活の所作の中に、「次」と「清」があるんですよ。