皇居の西にある半蔵門は、天皇皇后両陛下と皇太子ご一家が主にお使いになる「格」の高い門だ。宮内庁職員であっても、通行を許可された者だけが、半蔵門の小扉を通り、皇居内へ入ることができる。皇室の祭祀を司る部署である「掌典(しょうてん)職」の一員として、28年間仕えた三木(そうぎ)善明氏もその一人だった。今も変わらずに続く宮中の祈りと、昭和の大喪と平成の即位の大礼、皇太子同妃両殿下の結婚儀式などを知る三木氏が、平成の終わりを目前に控え、これまでの経験と出会った人々との思い出をあらためて語った。
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皇居内にあった2つの「机」
神社の家に生まれた私は、ご縁があって京都御所に出仕していたところ、東京の皇居内で働くことになりました。掌典職の職員、その中でも唯一公務員の立場である掌典補(しょうてんほ)として、お堀の中へ出勤していたのです。宮内庁の組織図の中では「式部(しきぶ)職」に属していました。
私には、2つの「机」がありました。1つは坂下門を入ってすぐの宮内庁庁舎。2階の部屋にある「掌典職」の机です。宮内記者クラブと近い部屋で、当時はまだ記者クラブにも麻雀に興じる人たちがいて、とてもにぎやかでした。もう1つは半蔵門から入った皇居の森の奥に位置する「賢所(けんしょ)」の中。毎朝、千鳥ヶ淵の三番町宿舎から20分ほど歩いて出勤する時は、半蔵門を通り賢所へ直接向かうことが多かったですね。賢所はとても広いところで、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)から職員がひかえる部屋まで全てが一つ屋根の下にあります。掌典補の詰所(つめしょ)にも、私の机がありました。公務員でありながら、神様にご奉仕するという立場だったからこそ、知ることのできた内実が多くあったように思います。
祭祀を司る部署である掌典職は、宮内庁の組織ではなく、内廷(天皇の私的機関)に属しています。掌典長以下、掌典次長、掌典までが管理職。そして、祭祀の実務を担当する女性の内掌典(ないしょうてん)と掌典補からなります。先述した通り、例外は私たち掌典補で、公務員として採用され、宮内庁の式部職に属していました。歌会始に関する事務、儀式に関する事柄などもあわせて担当していたのです。