男が抱えていた「ある病」
栗田は幼いころから、後の人生に大きな影響をもたらす一つの病気を患っていた。夜尿症。1ヶ月に1度以上の頻度で睡眠中に無意識に布団に排尿してしまう、いわゆる「おねしょ」で、通常は5歳までに治るものだが、栗田の場合は小学校就学期になっても改善せず、学校では尿のアンモニア臭が原因でいじめに遭う。当時の田舎では衣服の洗濯や入浴が習慣化されていなかったようだ。
もともと大人しい性格だったことに加え、日々のいじめにストレスを溜め込み、学校をさぼるようになった結果、3年のときに中退。その後、農家に奉公へ出され草刈りや薪割りなどの労働に就いたものの、やはり夜尿症で嫌われ、さらに盗癖もあったことから追い出され、1年間に10回以上も奉公先を転々とした。ちなみに、後の本人の証言によれば、奉公に出てほどない9歳のころ、老人男性から「女と寝るときは叩いたり、絞めたりすると、とてもいいぞ」と言われ、その言葉が耳にこびりついていたという。
太平洋戦争末期の1945年6月、19歳のとき徴兵され、青森県弘前市の歩兵第31連隊に入隊するも、ここでもまた夜尿症が原因で、わずか2ヶ月で除隊処分に。自尊心がずたずたに傷つけられたまま敗戦を迎え、同年末に北海道へ渡り美唄炭鉱(美唄市)の炭鉱夫となる。美唄炭鉱は大正・昭和の時代にかけて、三菱や三井などの大手財閥による石炭の大規模採掘が盛んだった場所で、その労働は極めて過酷。栗田はこれを耐えきり、いつしか屈強な体に変貌すると同時に、多くの同僚がそうだったように性格も凶暴なものへと変わっていく。
炭鉱夫として働きながら近隣の農家から盗んだ米を高値で売るヤミ米ブローカーとして荒稼ぎしていた1946年8月、窃盗・物価統制令違反・食料管理法違反の容疑で逮捕され、1年6ヶ月の懲役判決を受ける。1年で仮出所したものの、すぐに傷害と殺人未遂容疑でまたも逮捕。その後も塀の中と外を行き来しながらヤミ米の販売は続け、やがてヤミ米ブローカー集団である「総武グループ」のリーダーとなる。そのころの異名は「ハヤブサの源」。もはや犯罪もものともしない、周囲から一目置かれる存在だった。