「脚残ったわ」「ないよ」…バイク事故で失った右脚

――事故に遭ったのも、寮からの移動中だったとか。

かわけい 大学3年生の1月、もう4年生に上がる手前でテストも近いし、駅の近くのカフェで勉強しようとバイクで出かけました。そのときに車に追突されて、30秒ぐらい記憶が飛んで。「大丈夫ですか」って肩をめっちゃ叩いてくれた人がいて、その声で気がつきました。

 前にも一度、雨の日にバイクでこけて親指を骨折していたんで「また事故った!」と焦って「大丈夫です」と立ち上がろうと思ったんです。大丈夫なフリしないと、その人にも心配かけるからって。で、立ち上がろうとしたときに、そのまま右に傾いて……「あれ?」と思ってパッと見たら、自分の脚がぐちゃぐちゃに潰れてて。

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 そこからはパニックというか、何を言ってるのかも自分でわからなくなっちゃって。とっさに「親にだけは連絡しないと!」と携帯取ってLINEで親に電話したけど「脚が! 脚が!」って叫んでるだけだったんで、肩を叩いてくれていた人が僕の手から携帯取って、母に事情を説明してくださって、その人に救急車も呼んでもらって。そのときには脚がこう、あらぬ方向にねじれてて。

©︎文藝春秋

――180度くらい? そんなに?

かわけい そうです。こうねじれて。救急隊が来たけど、それだとタンカに乗せられない状態なので、ねじれてた脚をグイッとひねって戻すのを見ました。それが人生で一番痛かった経験かもしれません。

 アスファルトに血が滲んでいた光景も見ました。気を失ってれば楽やったかもしれないけれど「死ぬって一瞬やな」「ここで目を閉じたら、多分、絶対戻れへん……」と思って。だから手術台でも、ほんまに安心できるタイミングまで「絶対に目つぶらん!」と、できるだけ瞬きせずに、救急車の中でもずっと目を開けてました。

――手術が終わって、目覚めたのは当日ですか?

かわけい 次の日の朝の10時ぐらいにICUで目覚めました。人工呼吸器が喉まで入ってて、喋れない状態で。ホワイトボードを渡されて、筆談でやり取りしてたんですけど。父や母、姉も家族全員、姫路から来てくれていて「起きた、起きた!」って。そのとき自分は「心配させたくない」が何よりもあって。

 布団被ってるから、自分からしたら脚の状態がどうなってるのか分からないけど、幻肢痛っていう痛みで感覚を感じたので、ホワイトボードに「脚残ったわ」って書いて見せたんです。そうしたら母がポロポロ泣きながら「ないよ」って言って。父親も泣いて。

©︎文藝春秋

 親にはずっと感謝してて、いつか親孝行しようとは思ってたけど……初めて自分の体について心の中で親に謝ったというか。当時21歳で、そのときはシンプルに悔しかったですね。頭はそんなに良くなかったけど、スポーツは得意だった。でも、脚がなくなったことで自分の得意なものすら奪われた、ってそのときは思ったから。病室で「自分にこれから何ができるんだろう」と、ずっと考えてましたね。