都市と農村のおぞましい対立
それを聞くと、勘次がそうぞうしく洟をすすりあげてから相槌をうって、
「そうよ。町場のやつらがどうなったって、こっちの知ったこっちゃねえや。てめえの胃袋のこたあてめえで考えりゃいいんだ。だけど、都会のやつらも、こんどというこんどは百姓の有難味がわかったずら。前にゃよ、真っ昼間から、白粉をぬりたくって、金目の長い着物きこんで、チャラチャラしてけつかって、おれらんことをどん百姓だ、田舎っぺえだんて、あたまからさんざん馬鹿にしてやがってよ。……ところが、どうだいこの節、町場から買い出しにきやがるやつらの顔ったらざまはねえぞ。どいつもこいつも、青菜に熱湯でもぶっかけたみてえに青しょんぼくれて、空きっ腹かかえて、餓鬼みてえに泣きっつらこいてぺこぺこしやがって……やつらぁ、ここへ来て今までの罰があたったんだ。ふん、いい気味さ」
といった調子でてんで話にならない。それどころか、ふだんは口数の少ない東松のおたきまで、聖護院大根のような寸づまりの丸い顔をふりながら、
「わしらんちにもよく町場もんが銘仙だの錦紗だの、いい物持っちゃ物々交換にやってくるんけど、わしゃそのうち米ッ粒で町場女をみんな素っ裸にして、けつの毛までひん抜いてやろうと思ってるんだよ。こんどはこっちが仇を討つ番だからなぁーい」
と口から泡をとばしていきまいていた。おれはあらためて町場の人にたいする百姓の恨みの深さにおどろかされた。これはとても安っぽい同情論などで片付く問題ではない。その根は意外に深そうである。だが都市と農村のこのようなおぞましい対立はどこからきているのか、そのそもそもの原因はどこにあるのか、それは勘次たちの話だけで説明がつくことなのか、おれにはそのあたりがまだよくわからない。


