激戦地から生還し、故郷に戻った復員兵を待っていたのは、戦場の悲惨さを知る由もない村人たちからの無遠慮な質問攻めだった。そう明かし、「戦場の真実は言葉では説明しきれない」と口を閉ざしたのは、『砕かれた神 ある復員兵の手記』(角川新書)を著した渡辺清氏だ。
彼の心に追い打ちをかけたのが、かつて「戦陣訓」で全軍に死を強要した東条英機元首相の“ピストル自殺未遂”の報だった。絶望と虚無感のなかで、国家と指導者に見捨てられた元兵士の行き場のない怒りはどこへ向かうのか。同書の一部を抜粋して紹介する。
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九月十三日――それにしてもなんという醜態だろう
東条英機大将が自殺をはかり未遂(九月十一日)。なんでも戦犯として逮捕される直前にピストルを心臓に射ちこんだが、急所をはずれてしまって死にきれず、そのままアメリカ軍の病院に収容されたという。苦痛に耐えながら応接のソファーに横たわっている写真が新聞にも出ている。おれはその写真を見ながら、これがかつて独裁的な権力をにぎり、国会の演壇で大見栄をきって、「今や全国民一丸となって聖戦の目的を完遂し、以て聖慮を安んじ奉らなければならない」などと甲高い声をはり上げていた首相のなれの果てだとはどうしても思えなかった。
それにしてもなんという醜態だろう。人の生死についてことさらなことは慎しむべきだと思っているが、余人ならいざ知らず、東条といえば開戦時の首相だった人ではないか。一時は総理大臣だけでなく、同時に陸軍大臣や参謀総長も兼任していたほどの権力者だったではないか。そればかりではない。陸軍大臣だった当時、自ら「戦陣訓」なるものを公布して全軍に戦陣の戒めをたれていたではないか。「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」。これはその中の一節であるが、この訓令を破っているのは、ほかでもない当の本人ではないか。
軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを射ちそこなって、敵の縄目にかかる。これではもう喜劇にもなるまい。
東条はこの失態によって、彼自身の恥だけでなく、日本人全体の恥を内外にさらしたようなものだ。おれは東条大将だけは連合軍から戦犯に指名される前に潔く自決してほしかった。あの阿南陸相のように責任者なら責任者らしく、それにふさわしい最期を遂げてほしかったと思う。
早波に残留した同年兵の佐倉から手紙がきた。早波はいまも港内の三番ブイに繫留されたままになっているが、進駐軍の命令でこんど外地の兵隊を運ぶ復員船として使われることになったという。乗組員の補充は近くの工機学校と海兵団から希望者をつのって機関兵を主に七十名ほど乗せたそうだ。九月末横須賀を出て第一回は上海へ行くことになっているが、まだ欠員があるのでおれにも来ないかと盛んにすすめている。給料もいろんな手当を入れるといままでの五倍になるとか。佐倉は横浜の空襲で肉親を一度になくしていて、他に落ち着くあてもないので、復員完了までずっと乗っているつもりらしいが、おれは誰にさそわれても艦にはもう二度と乗りたくない。



