九月二十四日――東条の汚名もこれできわまった感がある
今日は父や兄の登といっしょに早出しの供出用の甘藷を掘ったあと、五畝ほど早稲の陸稲を刈る。一日体をかがめていたせいか、腰のあたりがつれるように痛い。畑仕事に出るようになってまだいくらもたたないのに、手にはもうマメが三つもできた。
おれはできればもうしばらく気持ちが落ち着くまで休んでいたいと思っていたが、みんなが忙しそうにしているのを見ると、そうもしていられない。それにうちは気ままにただ食いしていられるほど裕福な農家ではない。ひとり口数がふえればその分みんなで稼ぎ出さなくてはならず、病気でもないかぎり、そういつまでも大の男がごろごろしているわけにはいかないのだ。
村の復員兵のなかには、もといた町の工場や鉄道などの働きに出た者もいるようだが、おれにはもともとそんな働き口はなかったし、またかりにあっても今のところよそへ出て働くつもりはない。当分このままうちの仕事を手伝っていくつもりである。
といってもおれは二男坊だ。うちにとってはどうでもいい余計者だ。だからいずれはうちを出なければならないことはわかっている。が、今はそんなことは考えたくない。先のことなんぞどうでもいい。どうなってもいい。だいいち、おれはもうこれからの自分の人生になんの希望も持っていない。情熱もなければ期待もない。そんなものはとうに砲火と硝煙の中に吹っとんでしまった。
おれは戦場で人間の頭が砕かれ、胸が裂け、手や足が木っ葉のように海に吹っ飛ぶのを見た。血まみれになって甲板をのたうちながら踏みつぶされた芋虫かなんぞのように死んでいくのを見た。そういう人間の無残な最期を今もうなされるほどこの眼で見とどけてきた。そして、そこでおれがしたたかに思い知らされたのは、何かたとえようもない人間の非情さと空しさだった。身をきざむような無常感だった。いずれにしろそんなおれにまっとうな新しい人生なんてありうるはずがない。もしあるとすれば、それはどこかで何かをすりかえたまやかしの人生だ。
東条大将はあれ以来ずっと重体だったが、生命はどうやらとりとめたらしい。米軍も相手が相手だけに治療にはあらゆる手をつくしたのだろうが、東条の汚名もこれできわまった感がある。新聞には、
「一発で死にたかった。時間を要したことを遺憾に思う。(略)陛下の御多幸を行く末までお守りしてどこまでも国家の健全な発達を遂げることが出来れば幸いである。責任者としてとるべきことは多々あると思うが、勝者の裁判にかかりたくない」
という彼の言葉がのっているが、いやしくも一国の首相だった大将から、いまになってこんなめめしい繰り言は聞きたくないが、それはさておき天皇陛下はこのとらわれの東条大将をいったいどんなお気持ちで見ておられるのだろうか。かつて「大命を降下」して内閣を組織させ、総理大臣として足かけ三年自分に仕えさせた男である。上奏その他の職務で宮中でも頻繁に顔を合わせておられただろう。それだけに天皇陛下の御胸中は複雑にちがいない。
インキンの痒いのにはまいる。日中まだ汗をかくからなおさらだ。サルチル酸でも手に入ればいいのだが、どこにも売っていないらしい。これも水虫といっしょで艦の土産だが、場所が場所だけにユーウツである。



